洩す者多し。毎度聞く所なれども、何ぞ計らん、其《その》手近くせられて優しきお世話を蒙るこそ苦痛の種なれ。畢竟人の罪に非ず、習慣の然らしむる所にして、新旧夫婦共に自から不愉快と知りながら、近く相接して自から苦しむ。居家法の最も拙なるものと言う可し。
一 新夫婦は家の事情の許す限り老夫婦と同居せざるものとして、扨《さて》その新婦人が舅姑に接するの法を如何《いかが》す可きやと言うに、新婦の為めに夫は実の父母にも劣らぬ最親の人なる可し。其最親の人の最も尊敬し最も親愛する老父母即ち舅姑のことなれば、仮令い自分の父母に非ざるも、夫を思うの至情より割出して、之に厚うするは当然のことなり。夫の常に愛玩する物は犬馬器具の微に至るまでも之を大切にするは妻たる者の情ならずや。況《いわ》んや譬《たと》えんものもなき夫を産みたる至尊至親の老父母に於てをや。其保養を厚うし其感情を和らげ、仮初にも不愉快の年を発《おこ》さしむることなきよう心を用う可し。殊に老人は多年の経験もあることなれば、万事に付き妨げなき限りは打明けて語り打明けて相談す可し。之を煩わすに似たれども、其相談は老人を疏外せざるの実を表するものにして、却て意を慰むるに足る可し。曾て或る洋学者が妻を娶り、其妻も少し許《ばか》り英語を解して夫婦睦じく家に居り、一人の老母あれども何事も相談せざるのみか知らせもせずに、夫婦の専断に任せて、母は有れども無きが如し。或るとき家の諸道具を片付けて持出すゆえ、母が之を見て其次第を嫁に尋ぬれば、今日は転宅なりと言うにぞ、老人の驚き一方ならず、此人はまだ極老に非ず、心身共に達者にして能く事を弁ずれども、夫婦両人は常に老人をうるさく思い、朝夕の万事互に英語を以て用を達するの風なりしゆえ、転宅の其朝に至るまで何事も老人の耳に入らずして一切夢中、何時《いつ》の間《ま》にか荷物同様新宅に運搬せられたることなり。倅の不敬乱暴無法は申すまでもなく、嫁の不埒《ふらち》も亦|悪《にく》む可し。無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕《ゆる》す可きなれども、苟《いやしく》も上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益《むやく》なり、到底その意に任せて左右せしむ可き事に非ずとて、夫婦|喃々《なんなん》の間に決したることならんなれども、是れぞ所謂老人の口腹を養うを知て其情を養うの
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