これより余は著述に従事し、もっぱら西洋の事情を日本人に示して、古学流の根底よりこれを顛覆《てんぷく》せんことを企てたる、その最中《さいちゅう》に、王政維新の事あり。兵馬|匆卒《そうそつ》の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮《ふる》うてはばかるところなく、有形の物については物理原則のあざむくべからざるを説き、無形の事に関しては人権の重きを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧告して(ただし政権参与等の事については、余が著書中に切論したるもの少なし。これにはおのずから説あり。ここに略す。)その著書も少なからず、これがために当時の古学者流ははなはだ不平の様子なりしかども、その書の流行は非常にして、利益を得たることもまた、少なからず。
 今日にいたるまで、余が衣食住に苦しまずして独立勝手次第の生活をなし、なおその上に私塾維持のためにも、社員とともに多少の金を費したるその出処《でどころ》を尋ぬれば、商売に儲けたるに非ず、月給に貰うたるに非ず、いわんや祖先の遺産においてをや。本来無一物の一書生が、一本の筆の先きにてかき集めたる財産なり。これまた偶然の僥倖《ぎょうこう》なりといわざるをえず。いかんとなれば、当初、余が著述は、かつて身に経験あるに非ず、ただ西洋の事をたやすく世人に知らせんものをと思う一心よりこれを出版して、存外によく売れたるにつき、これは面白しとて、また出版すれば、また売れ、ついに図らざる利益を得たることにして、あるいはこれに反対して利益なかりしとても、さまで心事の齟齬《そご》したるものにあらざればなり。
 されば余が弱冠《じゃっかん》の時より今日にいたるまでの生活は、悉皆《しっかい》偶然に出でたる僥倖《ぎょうこう》にして、その然るゆえんは必ずしも余が暗愚、先見の明なきがために非ず。時勢の変遷、これを前知する能わざるは、誰れ人も一様なるその中に、余が志し、また企てたる事は、あたかもその変遷の勢に背くこと少なかりしがゆえに、今日なお未だ貧乏もせざることならん。然《しか》りといえども、他の僥倖は決して学ぶべき事柄にあらず。一身にしても僥倖はふたたびすべからず。いわんや他を学ぶにおいてをや。余はとくにこれを諸氏に警《いまし》めざるをえず。ただ諸氏に向って然《しか》るのみならず、現在、余が実子等へ警しむるところも、この旨より外ならず。
 余をもって今の第二世の後進
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング