の業《わざ》はきわめてむつかしきことにして、容易に出来難き学問なりしがゆえに、これを勤めたることならん。あるいは洋学ならで、ほかに何か困難なる事業もありて、偶然に思いつきたらば、その方に身を委ねたるやも知るべからず。
 ひっきょう余が洋学は一時の偶然に出でて、その修業の辛苦なりしがゆえに、これに入りたるものなりと、自から信ずるの外あるべからず。すでにこの学に志してようやくこれを勤むる間には、ようやく真理原則の佳境に入り、苦学すなわち精神を楽しましむるの具となりて、いかにしてもこの楽境を脱すべからず。かえりみて我が身の出処《でどころ》たる古学社会を見れば、その愚鈍暗黒なる、ともに語るに足るべき者なく、ひそかにこれを目下に見下して愍笑《びんしょう》するのみ。その状、あたかも田舎漢《いなかもの》が都会の住居に慣れて、故郷の事物を笑うものに異ならず。ますます洋学に固着してますます心志の高尚なりしもゆえんなきに非ざるなり。
 右の如く、ただ気位《きぐらい》のみ高くなりて、さて、その生計はいかんというに、かつて目的あることなし。これまた、士族の気風にして、祖先以来、些少《さしょう》にても家禄あれば、とうてい飢渇の憂なく、もとより貧寒の小士族なれども、貧は士の常なりと自から信じて疑わざれば、さまで苦しくもなく、また他人に対しても、貧乏のために侮《あなど》りをこうむることとてはなき世の風俗なりしがゆえに、学問には勉強すれども、生計の一点においてはただ飄然《ひょうぜん》として日月《じつげつ》を消《しょう》する中に、政府は外国と条約を結び、貿易の道も開らけて、世間の風景、何となく文明開化の春をもよおし、洋学者の輩も人に悪《にく》まれ人に忌《い》まるるその中に、時勢やむをえざるよりして、俗世界のために器《うつわ》として用いらるるの場合となり、余が如きも、すなわちその器の一人にして、幕府に雇われ横文書翰翻訳の仕事を得たり。
 もとよりこれがために栄誉を博したるにあらず、人情一般、西洋の事物を穢《きた》なく思う世の中に、この穢なき事を吟味するは洋学者に限るとして利用せられたるその趣《おもむき》は、皮細工に限りてえたに御用をこうむりたるの情に異ならざりしといえども、えたにても非人にても、生計の道にありつきたるは実に図らざりしことにして、偶然に我が所得の芸能をもって銭《ぜに》を得たるものなり。

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