たがいて、その演説者もいよいよ不学なりとの事実を発明することあるべし。他なし、経世の事を論じて判断の明《めい》に乏しければなり。ゆえに我が義塾においては、生徒の卒業に至るまでは、ただ学識を育して判断の明を研《みが》くの一方に力をつくし、業成り塾を去るの後は、行くところに任して、かつてその言行に干渉するなしといえども、つねにその軽率ならざるを祈り、論ずるときは大いに論じ、黙するときは大に黙する者をもって、真に我が社友と認むるのみ。ただ漫然たる江湖において、論者も不学、聴者も不学、たがいに不学無勘弁の下界《げかい》に戦う者は、捨ててこれを論ぜざるなり。



底本:「福沢諭吉教育論集」岩波文庫、岩波書店
   1991(平成3)年3月18日第1刷発行
底本の親本:「福沢諭吉選集 第3巻」岩波書店
   1980(昭和55)年12月18日第1刷発行
初出:「時事新報」時事新報社
   1882(明治15)年3月23日発行
入力:田中哲郎
校正:noriko saito
2006年12月30日作成
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