引足るべきにあらず。かつその時の学者なるものは、何学を学びたる何学士と申すわけにもあらずして、実際にのぞみて知らざる事も多ければ、これにては行くすえ頼母《たのも》しからずとて、ここにおいてか教育の説起り、新たに学者を作り出ださんことに熱心して、朝野ともに人を教うるに忙わしく、維新以来十数年の間、かつて少しも怠ることなし。
 当初の考には、我が日本国の不文不明なるは教育のあまねからざるがためのみ、教育さえ行届けば文明富強は日を期していたすべし、との胸算《きょうさん》にてありしが、さて今日にいたりて実際の模様を見るに、教育はなかなかよく行きとどきて字を知る者も多く、一芸一能に達したる専門の学者も少なからずして、まずもって前年の所望はやや達したる姿なれども、これがために国の文明富強をいたしたるの証拠とては、はなはだ少なきが如し。その事情を語るには言《げん》長ければ、手近く一例をあげて示さんに、一国の富は一個人の富の集まりたるものなりとの事は、争うべからざるものならん。
 さればかの文明富強の根本たる教育を受けたる者が、国を富ますためには、まずもって自身の富をいたすの必要なるは申すまでもなきこ
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