ば百余級の多きに至れども、これを大別《たいべつ》して二等に分つべし。すなわち上等は儒者、医師、小姓組《こしょうぐみ》より大臣《たいしん》に至り、下等は祐筆《ゆうひつ》、中小姓《なかごしょう》[#ここから割り注]旧厩格[#ここで割り注終わり]供小姓《ともごしょう》、小役人《こやくにん》格より足軽《あしがる》、帯刀《たいとう》の者に至り、その数の割合、上等は凡《およ》そ下等の三分一なり。
上等の内にて大臣と小姓組とを比較し、下等の内にて祐筆《ゆうひつ》と足軽とを比較すれば、その身分の相違もとより大なれども、明《あきらか》に上下両等の間に分界を画《かく》すべき事実あり。すなわちその事実とは、
第一、下等士族は何等《なんら》の功績《こうせき》あるも何等の才力を抱《いだ》くも、決して上等の席に昇進《しょうしん》するを許さず。稀《まれ》に祐筆などより立身して小姓組に入《いり》たる例もなきに非ざれども、治世《ちせい》二百五十年の間、三、五名に過ぎず。故に下等士族は、その下等中の黜陟《ちゅっちょく》に心を関して昇進を求《もとむ》れども、上等に入るの念は、もとよりこれを断絶して、その趣《おもむき》は走獣《そうじゅう》あえて飛鳥《ひちょう》の便利を企望《きぼう》せざる者のごとし。また前にいえるごとく、大臣と小姓組との身分は大《おおい》に異《こと》なるがごとくなれども、小姓組が立身《りっしん》して用人《ようにん》となりし例は珍《めず》らしからず。大臣の二、三男が家を分《わか》てば必ず小姓組たるの法なれば、必竟《ひっきょう》大臣も小姓組も同一種の士族《しぞく》といわざるを得ず。
また下等の中小姓《なかごしょう》と足軽《あしがる》との間にも甚《はなはだ》しき区別あれども、足軽が小役人《こやくにん》に立身してまた中小姓と為《な》るは甚だ易《やす》し。しかのみならず百姓が中間《ちゅうげん》と為《な》り、中間が小頭《こがしら》となり、小頭の子が小役人と為れば、すなわち下等士族中に恥《はず》かしからぬ地位を占《し》むべし。また足軽は一般に上等士族に対して、下座《げざ》とて、雨中《うちゅう》、往来に行逢《ゆきあ》うとき下駄《げた》を脱《ぬ》いで路傍《ろぼう》に平伏《へいふく》するの法あり。足軽以上小役人格の者にても、大臣に逢《あ》えば下座《げざ》平伏《へいふく》を法とす。啻《ただ》に大臣のみなら
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