きい》の内外を争い、御目付部屋《おめつけべや》の御記録《ごきろく》に思《おもい》を焦《こが》し、※[#「弗+色」、第3水準1−90−60]然《ふつぜん》として怒り莞爾《かんじ》として笑いしその有様《ありさま》を回想すれば、正《まさ》にこれ火打箱《ひうちばこ》の隅《すみ》に屈伸《くっしん》して一場の夢を見たるのみ。しかのみならず今日に至《いたり》ては、その御広間もすでに湯屋《ゆや》の薪《たきぎ》となり、御記録も疾《と》く紙屑屋《かみくずや》の手に渡りたるその後において、なお何物に恋々《れんれん》すべきや。また今の旧下士族が旧上士族に向い、旧時の門閥《もんばつ》虚威《きょい》を咎《とが》めてその停滞《ていたい》を今日に洩《も》らさんとするは、空屋《あきや》の門に立《たち》て案内を乞《こ》うがごとく、蛇《へび》の脱殻《ぬけがら》を見て捕《とら》えんとする者のごとし。いたずらに自《みず》から愚《ぐ》を表《あらわ》して他《た》の嘲《あざけり》を買うに過ぎず。すべて今の士族はその身分を落したりとて悲しむ者多けれども、落すにも揚《あぐ》るにも結局物の本位を定めざるの論なり。平民と同格なるはすなわち下落ならんといえども、旧主人なる華族《かぞく》と同席して平伏《へいふく》せざるは昇進《しょうしん》なり。下落を嫌《きら》わば平民に遠ざかるべし、これを止《と》むる者なし。昇進を願わば華族に交《まじわ》るべし、またこれを妨《さまたぐ》る者なし。これに遠ざかるもこれに交《まじわ》るも、果してその身に何の軽重《けいちょう》を致すべきや。これを是《こ》れ知らずして自《みず》から心を悩《なや》ますは、誤謬《ごびゅう》の甚《はなはだ》しき者というべし。故に有形なる身分の下落《げらく》昇進《しょうしん》に心を関せずして、無形なる士族固有の品行を維持《いじ》せんこと、余輩の懇々《こんこん》企望《きぼう》するところなり。ただこの際において心事の機を転ずること緊要にして、そのこれを転ずるの器械は、特に学校をもって有力なるものとするが故に、ことさらに藩地徳望の士君子《しくんし》に求め、その共《とも》に尽力して学校を盛《さかん》にせんことを願うなり。
 中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻《こんいん》の好《よしみ》を通《つう》ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害《へいがい》はほとんど人心の底に根拠して
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