こと能《あた》わざる者より以下は、到底《とうてい》この貸借《たいしゃく》の念を絶つこと能わず。現に今日にても士族の仲間《なかま》が私《わたくし》に集会すれば、その会の席順は旧《もと》の禄高または身分に従うというも、他に席順を定むべき目安《めやす》なければ止《や》むを得ざることなれども、残夢《ざんむ》の未《いま》だ醒覚《せいかく》せざる証拠なり。或は市中公会等の席にて旧套《きゅうとう》の門閥流《もんばつりゅう》を通用せしめざるは無論なれども、家に帰れば老人の口碑《こうひ》も聞き細君《さいくん》の愚痴《ぐち》も喧《かまびす》しきがために、残夢《ざんむ》まさに醒《さ》めんとしてまた間眠《かんみん》するの状なきにあらず。これ等《ら》の事情をもって考《かんがう》るに、今の成行きにて事変なければ格別なれども、万に一も世間に騒動《そうどう》を生じて、その余波近く旧藩地の隣傍に及ぶこともあらば、旧痾《きゅうあ》たちまち再発して上士と下士とその方向を異《こと》にするのみならず、針小《しんしょう》の外因よりして棒大《ぼうだい》の内患を引起すべきやも図るべからず。
 しかのみならず、たといかかる急変なくして尋常《じんじょう》の業に従事するも、双方互に利害情感を別にし、工業には力をともにせず、商売には資本を合《がっ》せず、却《かえっ》て互に相《あい》軋轢《あつれき》するの憂《うれい》なきを期すべからず。これすなわち余輩の所謂《いわゆる》消極の禍《わざわい》にして、今の事態の本位よりも一層の幸福を減ずるものなり。けだし人事の憂患《ゆうかん》、消極の域内に在るの間は、未《いま》だその積極を謀《はか》るに遑《いとま》あらざるなり。
 今消極の憂《うれい》を憂《うれえ》てこれを防ぐにもせよ、積極の利を謀《はかっ》てこれを求《もとむ》るにもせよ、旧藩地にて有力なる人物は必ずこれを心配することならん、またこれを心配して実地に従事するについては様々の方便もあらん、また様々の差支《さしつかえ》もあらん、不如意《ふにょい》は人生の常にしてこれを如何《いかん》ともすべからず。故に余輩の注意するところは、未《いま》だ積極に及ばずして先ずその消極の憂を除くの路《みち》に進まんと欲するなり。すなわちその路《みち》とは他《た》なし、今の学校を次第《しだい》に盛《さかん》にすることと、上下士族|相互《あいたがい》に婚姻
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