べからず。
然るに近日、世間の風潮をみるに、政治家なる者が教育の学校を自家の便《べん》に利用するか、または政治の気風が自然に教場に浸入したるものか、その教員生徒にして政の主義をかれこれと評論して、おのずから好悪《こうお》するところのものあるが如し。政治家の不注意というべし。政治の気風が学問に伝染してなお広く他の部分に波及するときは、人間万事、政党をもって敵味方を作り、商売工業も政党中に籠絡《ろうらく》せられて、はなはだしきは医学士が病者を診察するにも、寺僧または会席の主人が人に座を貸すにも、政派の敵味方を問うの奇観を呈するにいたるべし。社会親睦、人類相愛の大義に背くものというべし。
また、一方の学者においても、世間の風潮、政談の一方に向うて、いやしくも政を語る者は他の尊敬を蒙り、またしたがって衣食の道にも近くして、身を起すに容易なるその最中《さいちゅう》に、自家の学問社会をかえりみれば、生計得べきの路なきのみならず、蛍雪幾年の辛苦を忍耐するも、学者なりとして敬愛する人さえなき有様なれば、むしろ書を抛《なげうち》て一臂《いっぴ》を政治上に振うに若《し》かずとて、壮年後進の学生は争うて政治社会に入らざるはなし。その人の罪に非ず。風潮の然《しか》らしむるところなり。
今の風潮は、天下の学生を駆りてこれを政治に入らしむるものなるを、世の論者は、往々その原因を求めずして、ただ現在の事相に驚き、今の少年は不遜《ふそん》なり軽躁《けいそう》なり、漫《みだり》に政治を談じて身の程を知らざる者なりとて、これを咎《とがむ》る者あれども、かりにその所言にしたがいてこれを酔狂人とするも、明治年間今日にいたりてにわかに狂すべきに非ず。その狂や必ず原因あるべし。その原因とは何ぞや。学生にして学問社会に身を寄すべきの地位なきもの、すなわちこれなり。その実例はこれを他に求むるを須《ま》たず、あるいは論者の中にもその身を寄する地位を失わざらんがために説を左《ひだり》し、また、その地位を得たるがために主義を右《みぎ》したることもあらん。これを得て右したる者は、これを失えば、また左すべし。何ぞ現在の左右を論ずるに足らんや。自身にしてかくの如し。他人もまたかくの如くなるべし。伐柯其則不遠《えをきるそののりとおからず》、自心をもって他人を忖度《そんたく》すべし。
人の心を鎮撫するの要は、その身を安からしむるにあり。安身は安心の術なり。ゆえに今、帝室の保護をもって、私学校を維持せしめてかねてまた学者を優待するの先例を示されたらば、世間にも次第に学問を貴ぶの風を成して、自然に学者安身の地位も生ずべきがゆえに、専業の工たり農商たり、また政治家たる者の外は、学問社会をもって畢生《ひっせい》安心の地と覚悟して、政壇の波瀾に動揺することなきを得べし。我が輩かつていえることあり、方今政談の喋々《ちょうちょう》をただちに制止せんとするは、些少《さしょう》の水をもって火に灌《そそ》ぐが如し、大火消防の法は、水を灌ぐよりも、その燃焼の材料を除くに若《し》かずと。けだし学者のために安身の地をつくりてその政談に走るをとどむるは、また燃料を除くの一法なり。
底本:「福沢諭吉教育論集」岩波文庫、岩波書店
1991(平成3)年3月18日第1刷発行
底本の親本:「福沢諭吉選集 第3巻」岩波書店
1980(昭和55)年12月18日第1刷発行
初出:「時事新報」時事新報社
1883(明治16)年1月20日〜2月5日発行
入力:田中哲郎
校正:noriko saito
2007年4月4日作成
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