からず、商法講ぜざるべからずとて、しきりにこれを奨励して、後進の青年を商工の一方に教育せんとするその最中《さいちゅう》に、外国政治上の報告を聞けば、近来はなはだ穏《おだやか》ならず、欧洲各国の形勢云々なるのみならず、近く隣国の支那において、大臣某氏が政権をとりて、その政略はかくの如し、あるいは東洋全面の風波も計るべからず、不虞《ふぐ》に予備するは廟算《びょうさん》の極意《ごくい》にして、目下の急は武備を拡張して士気を振起するにあり、学校教育の風も文弱に流れずして尚武《しょうぶ》の気を奨励するこそ大切なれとて、その針路に向うときは、さきに工芸商法を講習してまさに殖産の道を学ばんとしたる学生も、たちまち経済書を廃して兵書を読み、筆を投じて戎軒《じゅうけん》を事とするの念を発すべし。
少年の心事、その軟弱なること杞柳《きりゅう》の如く、他の指示するところにしたがいて変化すること、はなはだやすし。而《しか》してその指示の原因はいずれよりすと尋ぬるに、一両年間、貿易輸出入の不平均か、もしくは隣国一大臣の進退にすぎず。内国貿易の景況、隣国交際の政略、当局の政治家においては実に大切にして等閑《とうかん》に附《ふ》すべからざるものなれども、これがために所期百年の教育上に影響を及ぼすとは憐むべき次第ならずや。かく政治と学問と密着するときは、甲者の変勢にさいして常に乙者の動揺を生じ、その変いよいよはなはだしければその余波もまた、いよいよ劇なり。
ここに一例をあぐれば、旧幕府の時代、江戸に開成学校なるものを設立して学生を教育し、その組織ずいぶん盛大なるものにして、あたかも日本国中洋学の中心とも称すべき姿なりしが、一朝《いっちょう》幕政府の顛覆《てんぷく》に際して、生徒教員もたちまち四方に散じて行くところを知らず、東征の王師、必ずしも開成校を敵としてこれを滅《ほろぼ》さんとするの意もなかりしことならんといえども、学者の輩がかくも狼狽《ろうばい》して、一朝にして一大学校を空了《くうりょう》して、日本国の洋学が幕府とともに廃滅したるは何ぞや。開成校は幕政府中の学校にして、時の政治に密着したるがゆえなり。
語をかえていえば、開成校は幕府政党にくみして、その生徒教員もおのずからその党派の人なりしがゆえなり。この輩が学者の本色《ほんしょく》を忘却して世変に眩惑し、目下の利害を論じて東走西馳に忙
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