ず。もとより独立の活計は人間の一大事、「汝の額の汗をもって汝の食《めし》を食《く》らえ」とは古人の教えなれども、余が考えには、この教えの趣旨を達したればとていまだ人たるものの務めを終われりとするに足らず。この教えはわずかに人をして禽獣に劣ることなからしむるのみ。試みに見よ。禽獣《きんじゅう》魚虫、みずから食を得ざるものなし。ただにこれを得て一時の満足を取るのみならず、蟻《あり》のごときははるかに未来を図り、穴を掘りて居処を作り、冬日の用意に食料を貯《たくわ》うるにあらずや。
しかるに世の中にはこの蟻の所業をもってみずから満足する人あり。今その一例を挙げん。男子年長じて、あるいは工につき、あるいは商に帰し、あるいは官員となりて、ようやく親類朋友の厄介たるを免れ、相応に衣食して他人へ不義理の沙汰もなく、借屋にあらざれば自分にて手軽に家を作り、家什《かじゅう》はいまだ整わずとも細君だけはまずとりあえずとて、望みのとおりに若き婦人を娶《めと》り、身の治まりもつきて倹約を守り、子供は沢山に生まれたれども教育もひととおりのことなればさしたる銭もいらず、不時病気等の入用に三十円か五十円の金にはいつ
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