面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪《むさぼ》らんとし、姑《しゅうとめ》は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤《もっと》もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻《もと》ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒《さたん》して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。豈これを人間家内の道と言うべけんや。余かつて言えることあり。「姑の鑑《かがみ》遠からず嫁の時にあり」と。姑もし嫁を窘《くる》しめんと欲せば、己がかつて嫁たりし時を想うべきなり。
 右は上下貴賤の名分より生じたる悪弊にて、夫婦親子の二例を示したるなり。世間にこの悪弊の行なわるるははなはだ広く、事々物々、人間の交際に浸潤せざるはなし。なおその例は次編に記すべし。
[#改段]

 九編



   学問の旨を二様に記して
   中津の旧友に贈る文

 人の心
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