しかるにここに盗賊ありて、人の家に入り金十円を盗み得て出でんとするとき、主人に取り押えられ、すでに縛られしうえにて、その主人なおも怒りに乗じ足をもって賊の面を蹴ることあらん、しかるときその国の律をもってこれを論ずれば、賊は金十円を盗みし罪にて一百の笞を被り、主人もまた平人の身をもって私に賊の罪を裁決し足をもってその面を蹴りたる罪により笞うたるること一百なるべし。国法の厳なることかくのごとし。人々恐れざるべからず。
 右の理をもって考うれば敵討《かたきう》ちのよろしからざることも合点すべし。わが親を殺したる者はすなわちその国にて一人の人を殺したる公の罪人なり。この罪人を捕えて刑に処するは政府に限りたる職分にて、平人の関わるところにあらず。しかるにその殺されたる者の子なればとて、政府に代わりて私にこの公の罪人を殺すの理あらんや。差し出がましき挙動と言うべきのみならず、国民たるの職分を誤り、政府の約束に背くものと言うべし。もしこのことにつき、政府の処置よろしからずして罪人を贔屓《ひいき》するなどのことあらば、その不筋《ふすじ》なる次第を政府に訴うべきのみ。なんらの事故あるもけっしてみずから手
前へ 次へ
全187ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング