い、その柔順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。実に無気無力の鉄面皮と言うべし。
 昔鎖国の世に旧幕府のごとき窮屈なる政を行なう時代なれば、人民に気力なきもその政事に差しつかえざるのみならずかえって便利なるゆえ、ことさらにこれを無智に陥《おとしい》れ、無理に柔順ならしむるをもって役人の得意となせしことなれども、今、外国と交わるの日に至りてはこれがため大なる弊害あり。譬えば田舎の商人ら、恐れながら外国の交易に志して横浜などへ来る者あれば、まず外国人の骨格たくましきを見てこれに驚き、金《かね》の多きを見てこれに驚き、商館の洪大《こうだい》なるに驚き、蒸気船の速きに驚き、すでにすでに胆を落として、追い追いこの外国人に近づき取引きするに及んでは、その駆引きのするどきに驚き、あるいは無理なる理屈を言いかけらるることあればただに驚くのみならず、その威力に震い懼《おそ》れて、無理と知りながら大なる損亡を受け大なる恥辱を蒙《こうむ》ることあり。こは一人の損亡にあらず、一国の損亡なり。一人の恥辱にあらず、一国の恥辱なり。実に馬鹿らしきようなれども、先祖代々独立の気を吸わざる町人根性、武士には窘《くる》し
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