に疑いを容れたるその原因を尋ぬれば、はじめて国を開きて西洋諸国に交わり、かの文明の有様を見てその美を信じ、これに倣《なら》わんとしてわが旧習に疑いを容れたるものなれば、あたかもこれを自発の疑いと言うべからず。ただ旧を信ずるの信をもって新を信じ、昔日は人心の信、東にありしもの、今日はそこを移して西に転じたるのみにして、その信疑の取捨|如何《いかん》に至りては、はたして適当の明あるを保すべからず。余輩いまだ浅学寡聞、この取捨の疑問に至り、いちいち当否を論じてその箇条を枚挙する能わざるは、もとよりみずから懺悔するところなれども、世事転遷の大勢を察すれば、天下の人心この勢いに乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、疑うものは疑いに過ぎ、信疑ともにその止まるところの適度を失するものあるは明らかに見るべし。左にその次第を述べん。
 東西の人民、風俗を別にし情意を異にし、数千百年の久しき、おのおのその国土に行なわれたる習慣は、たとい利害の明らかなるものといえども、とみにこれを彼に取りて是《これ》に移すべからず、いわんやその利害のいまだ詳《つまび》らかならざるものにおいてをや。これを採用せんとするには千思万
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