なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦《むつま》しくするは、もと同一家の兄弟にしてともに一父一母を与にするの大倫あればなり。
 ゆえに今、人と人との釣合いを問えばこれを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり。その有様を論ずるときは、貧富、強弱、智愚の差あることはなはだしく、あるいは大名華族とて御殿に住居し美服、美食する者もあり、あるいは人足とて裏店《うらだな》に借屋して今日の衣食に差しつかえる者もあり、あるいは才智|逞《たくま》しゅうして役人となり商人となりて天下を動かす者もあり、あるいは智恵分別なくして生涯、飴《あめ》やおこし[#「おこし」に傍点]を売る者もあり、あるいは強き相撲取りあり、あるいは弱きお姫様あり、いわゆる雲と泥《どろ》との相違なれども、また一方より見てその人々持ち前の権理通義をもって論ずるときは、いかにも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。すなわちその権理通義とは、人々その命《いのち》を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。天の人を生ずるや、これに体と心との働きを与えて、人々
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