、去年の新工夫も今年は陳腐に属す。西洋諸国日新の勢いを見るに、電信・蒸気・百般の器械、したがって出ずればしたがって面目を改め、日に月に新奇ならざるはなし。ただに有形の器械のみ新奇なるにあらず、人智いよいよ開くれば交際いよいよ広く、交際いよいよ広ければ人情いよいよ和らぎ、万国公法の説に権を得て、戦争を起こすこと軽率ならず、経済の議論盛んにして政治・商売の風を一変し、学校の制度、著書の体裁、政府の商議、議院の政談、いよいよ改むればいよいよ高く、その至るところの極を期すべからず。試みに西洋文明の歴史を読み、開闢の時より紀元一六〇〇年代に至りて巻を閉ざし、二百年の間を超えて、とみに一八〇〇年代の巻を開きてこれを見ば、誰かその長足の進歩に驚駭《きょうがい》せざるものあらんや。ほとんど同国の史記とは信じ難かるべし。然りしこうしてその進歩をなせし所以《ゆえん》の本《もと》を尋ぬれば、みなこれ古人の遺物、先進の賜《たまもの》なり。
 わが日本の文明も、そのはじめは朝鮮・支那より来たり、爾来《じらい》わが国人の力にて切磋琢磨《せっさたくま》、もって近世の有様に至り、洋学のごときはその源《みなもと》遠く宝暦年間にあり〔『蘭学事始』という版本を見るべし〕。輓近《ばんきん》外国の交際始まりしより、西洋の説ようやく世上に行なわれ、洋学を教うる者あり、洋書を訳する者あり、天下の人心さらに方向を変じて、これがため政府をも改め、諸藩をも廃して、今日の勢いになり、重ねて文明の端を開きしも、これまた古人の遺物、先進の賜と言うべし。
 右所論のごとく、古の時代より有力の人物、心身を労して世のために事をなす者少なからず。今この人物の心事を想うに、豈《あに》衣食住の饒《ゆた》かなるをもってみずから足れりとする者ならんや。人間交際の義務を重んじて、その志すところけだし高遠にあるなり。今の学者はこの人物より文明の遺物を受けて、まさしく進歩の先鋒に立ちたるものなれば、その進むところに極度あるべからず。今より数十の星霜を経て後の文明の世に至れば、また後人をしてわが輩の徳沢《とくたく》を仰ぐこと、今わが輩が古人を崇《とうと》むがごとくならしめざるべからず。概してこれを言えば、わが輩の職務は今日この世に居《お》り、わが輩の生々したる痕跡を遺《のこ》して遠くこれを後世子孫に伝うるの一事にあり。その任また重しと言うべし。
 豈《あに》ただ数巻の学校本を読み、商となり工となり、小吏となり、年に数百の金を得てわずかに妻子を養いもってみずから満足すべけんや。こはただ他人を害せざるのみ、他人を益する者にあらず。かつ事をなすには時に便不便あり、いやしくも時を得ざれば有力の人物もその力を逞《たくま》しゅうすること能《あた》わず。古今その例少なからず。近くはわが旧里にも俊英の士君子ありしは明らかにわが輩の知るところなり。もとより今の文明の眼をもってこの士君子なる者を評すれば、その言行あるいは方向を誤るもの多しといえども、こは時論の然らしむるところにて、その人の罪にあらず、その実は事をなすの気力に乏しからず。ただ不幸にして時に遇《あ》わず、空しく宝を懐《ふところ》にして生涯を渡り、あるいは死しあるいは老し、ついに世上の人をして大いにその徳を蒙らしむるを得ざりしは遺憾と言うべきのみ。
 今やすなわち然らず。前にも言えるごとく、西洋の説ようやく行なわれてついに旧政府を倒し諸藩を廃したるは、ただこれを戦争の変動とみなすべからず。文明の功能はわずかに一場の戦争をもってやむべきものにあらず。ゆえにこの変動は戦争の変動にあらず、文明に促《うなが》されたる人心の変動なれば、かの戦争の変動はすでに七年前にやみてその跡なしといえども、人心の変動は今なお依然たり。およそ物動かざればこれを導くべからず。学問の道を首唱して天下の人心を導き、推してこれを高尚の域に進ましむるには、とくに今の時をもって好機会とし、この機会に逢う者はすなわち今の学者なれば、学者世のために勉強せざるべからず。  以下十編につづく。
[#改段]

 十編



   前編のつづき、中津の旧友に贈る

 前編に学問の旨《むね》を二様に分けてこれを論じ、その議論を概すれば、「人たるものはただ一身一家の衣食を給し、もってみずから満足すべからず、人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉《つと》むるところなかるべからず」との趣意を述べたるなり。
 学問するには、その志を高遠にせざるべからず。飯を炊《た》き、風呂の火を焚《た》くも学問なり。天下の事を論ずるもまた学問なり。されども一家の世帯は易《やす》くして、天下の経済は難《かた》し。およそ世の事物、これを得るに易きものは貴からず。物の貴き所以《
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