しそれはたして然らば、一婦をして衆夫を養わしめ、これを男妾と名づけて家族第二等親の位にあらしめなば如何《いかん》。かくのごとくしてよくその家を治め、人間交際の大義に毫《ごう》も害することなくば、余が喋々《ちょうちょう》の議論をもやめ、口を閉ざしてまた言わざるべし。天下の男子よろしくみずから顧みるべし。或る人またいわく、「妾を養うは後あらしめんがためなり、孟子《もうし》の教えに不孝に三つあり、後なきを大なりとす」と。余答えていわく、天理に戻《もと》ることを唱うる者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と言いて可なり。妻を娶《めと》り、子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞《とんじ》と言うもあまりはなはだしからずや。
 いやしくも人心を具えたる者なれば、誰か孟子の妄言《ぼうげん》を信ぜん。元来不孝とは、子たる者にて理に背《そむ》きたることをなし、親の身心をして快からしめざることを言うなり。もちろん老人の心にて孫の生まるるは悦ぶことなれども、孫の誕生が晩《おそ》しとて、これをその子の不幸と言うべからず。試みに天下の父母たる者に問わん。子に良縁ありてよき嫁を娶り、孫を生まずとてこれを怒り、その嫁を叱り、その子を笞《むち》うち、あるいはこれを勘当せんと欲するか。世界広しといえどもいまだかかる奇人あるを聞かず、これらはもとより空論にて弁解を費やすにも及ばず。人々みずからその心に問いてみずからこれに答うべきのみ。
 親に孝行するはもとより人たる者の当然、老人とあれば他人にてもこれを丁寧にするはずなり。まして自分の父母に対し情を尽くさざるべけんや。利のためにあらず、名のためにあらず、ただ己が親と思い、天然の誠をもってこれに孝行すべきなり。古来和漢にて孝行を勧めたる話ははなはだ多く、『二十四孝』をはじめとしてそのほかの著述書も計《かぞ》うるに遑《いとま》あらず。しかるにこの書を見れば、十に八、九は人間にでき難きことを勧むるか、または愚にして笑うべきことを説くか、はなはだしきは理に背きたることを誉《ほ》めて孝行とするものあり。
 寒中に裸体にて氷の上に臥《ふ》しその解くるを待たんとするも人間にできざることなり。夏の夜に自分の身に酒を灌《そそ》ぎて蚊《か》に食われ親に近づく蚊を防ぐより、その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。父母を養うべき働きもなく途方に暮れて、罪
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