て得《う》べきものにあらず、また身代の富豪なるのみによりて得べきものにもあらず、ただその人の活発なる才智の働きと正直なる本心の徳義とをもってしだいに積んで得べきものなり。
人望は智徳に属すること当然の道理にして、必ず然るべきはずなれども、天下古今の事実においてあるいはその反対を見ること少なからず。藪医者が玄関を広大にして盛んに流行し、売薬師が看板を金にして大いに売り弘《ひろ》め、山師の帳場に空虚なる金箱を据え、学者の書斎に読めぬ原書を飾り、人力車中に新聞紙を読みて宅に帰りて午睡《ごすい》を催す者あり、日曜日の午後に礼拝堂に泣きて月曜日の朝に夫婦喧嘩する者あり。滔々《とうとう》たる天下、真偽|雑駁《ざっぱく》、善悪混同、いずれを是《ぜ》としいずれを非とすべきや。はなはだしきに至りては、人望の属するを見て、本人の不智不徳を卜《ぼく》すべき者なきにあらず。ここにおいてか、やや見識高き士君子は世間に栄誉を求めず、あるいはこれを浮世の虚名なりとして、ことさらに避くる者あるもまた無理ならぬことなり。士君子の心がけにおいて称すべき一ヵ条と言うべし。
然りといえども、およそ世の事物につきその極度の一方のみを論ずれば弊害あらざるものなし。かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、そのこれを求むると求めざるとを決するの前に、まず栄誉の性質を詳《つまび》らかにせざるべからず。その栄誉なるもの、はたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看板のごとくならば、もとよりこれを遠ざけ、これを避くべきは論を俟《ま》たずといえども、また一方より見れば社会の人事は悉皆《しっかい》虚をもって成るものにあらず。人の智徳はなお花樹のごとく、その栄誉人望はなお花のごとし。花樹を培養して花を開くに、なんぞことさらにこれを避くることをせんや。栄誉の性質を詳らかにせずして、概してこれを投棄せんとするは、花を払いて樹木の所在を隠すがごとし。これを隠してその功用を増すにあらず、あたかも活物を死用するに異ならず、世間のためを謀《はか》りて不便利の大なるものと言うべし。
しからばすなわち栄誉人望はこれを求むべきものか。いわく、然り、勉めてこれを求めざるべからず。ただこれを求むるに当たりて分に適すること緊要なるのみ。心身の働きをもって世間の人望を収むるは、米を計りて人に渡すがごとし。升《ます》取りの
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