今、世の識者に民選議院の説あり、また出版自由の論あり。その得失はしばらく擱《お》き、もともとこの論説の起こる所以を尋ぬるに、識者の所以はけだし今の日本国中をして古《いにしえ》の御殿のごとくならしめず、今の人民をして古の御殿女中のごとくならしめず、怨望に易《か》うるに活動をもってし、嫉妬の念を絶ちて相競うの勇気を励まし、禍福譏誉ことごとくみな自力をもってこれを取り、満天下の人をして自業自得ならしめんとするの趣意なるべし。
人民の言路を塞《ふさ》ぎ、その業作を妨ぐるは、もっぱら政府上に関して、にわかにこれを聞けば、ただ政治に限りたる病のごとくなれども、この病は必ずしも政府のみに流行するものにあらず、人民の間にも行なわれて、毒を流すこともっともはなはだしきものなれば、政治のみを改革するもその源《みなもと》を除くべきにあらず。今また数言を巻末に付し、政府のほかにつきてこれを論ずべし。
元来人の性は交わりを好むものなれども、習慣によればかえってこれを嫌うに至るべし。世に変人奇物とて、ことさらに山村|僻邑《へきゆう》におり世の交際を避くる者あり。これを隠者と名づく。あるいは真の隠者にあらざるも、世間の付合いを好まずして一家に閉居し、俗塵を避くるなどとて得意の色をなす者なきにあらず。この輩の意を察するに、必ずしも政府の所置を嫌うのみにて身を退《しりぞ》くるにあらず、その心志|怯弱《きょうじゃく》にして物に接するの勇なく、その度量狭小にして人を容《い》るること能《あた》わず、人を容るること能わざれば人もまたこれを容れず、彼も一歩を退け我もまた一歩を退け、歩々相遠ざかりてついに異類の者のごとくなり、後には讐敵《しゅうてき》のごとくなりて、互いに怨望するに至ることあり。世の中に大なる禍《わざわい》と言うべし。
また人間の交際において、相手の人を見ずしてそのなしたる事を見るか、もしくはその人の言を遠方より伝え聞きて、少しくわが意に叶わざるものあれば、必ず同情相|憐《あわ》れむの心をば生ぜずして、かえってこれを忌み嫌うの念を起こし、これを悪《にく》んでその実に過ぐること多し。これまた人の天性と習慣とによりて然るものなり。物事の相談に伝言、文通にて整わざるものも直談にて円《まる》く治まることあり。また人の常の言に、「実はかくかくのわけなれども、面と向かいてはまさかさようにも」という
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