て賞せらるるにあらず、懶惰《らんだ》によりて罰せらるるにあらず、諫《いさ》めて叱らるることもあり、諫めずして叱らるることもあり、言うも善し言わざるも善し、詐《いつわ》るも悪し詐らざるも悪し、ただ朝夕の臨機応変にて主人の寵愛を僥倖《ぎょうこう》するのみ。
 その状あたかも的《まと》なきに射るがごとく、当たるも巧なるにあらず、当たらざるも拙なるにあらず、まさにこれを人間外の一|乾坤《けんこん》と言うも可なり。この有様のうちに居《お》れば、喜怒哀楽の心情必ずその性を変じて、他の人間世界に異ならざるを得ず。たまたま朋輩に立身する者あるも、その立身の方法を学ぶに由《よし》なければ、ただこれを羨むのみ。これを羨むのあまりにはただこれを嫉《ねた》むのみ。朋輩を嫉み、主人を怨望するに忙《いそが》わしければ、なんぞお家のおんためを思うに遑《いとま》あらん。忠信節義は表向きの挨拶のみにて、その実は畳に油をこぼしても、人の見ぬところなれば拭《ぬぐ》いもせずに捨て置く流儀となり、はなはだしきは主人の一命にかかる病の時にも、平生、朋輩の睨《にら》み合いにからまりて、思うままに看病をもなし得ざる者多し。なお一歩を進めて怨望嫉妬の極度に至りては、毒害の沙汰もまれにはなきにあらず。古来もしこの大悪事につきその数を記したるスタチスチクの表ありて、御殿に行なわれたる毒害の数と、世間に行なわれたる毒害の数とを比較することあらば、御殿に悪事の盛んなること断じて知るべし。怨望の禍《わざわい》豈《あに》恐怖すべきにあらずや。
 右御殿女中の一例を見ても大抵、世の中の有様は推して知るべし。人間最大の禍は怨望にありて、怨望の源は窮より生ずるものなれば、人の言路は開かざるべからず、人の業作は妨ぐべからず。試みに英亜諸国の有様とわが日本の有様とを比較して、その人間の交際において、いずれかよくかの御殿の趣を脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目してまったく御殿に異ならずと言うにはあらざれども、その境界《きょうがい》を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず。英亜の人民、貪吝驕奢ならざるにあらず、粗野乱暴ならざるにあらず、あるいは詐る者あり、あるいは欺く者ありて、その風俗けっして善美ならずといえども、ただ怨望隠伏の一事に至りては必ずわが国と趣を異にするところあるべし。
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