しといい、あるいは益あるべしといい、議論|喋々《ちょうちょう》たりしが、その成跡を見れば、いずれも無益の取越し苦労なり。改革の後も役夫・職人の輩《はい》はただちに国事にかかわることなく、議員の種族はいぜんたる旧《もと》の議員にして、ただこの改革ありしがために、早くすでに議員に戒心を抱かしめ、期せずしておのずから下等の人民を利したりという。
 ゆえに政府たる者が人民の権を認むると否とに際して、その加減の難きは、医師の匕《さじ》の類《たぐい》に非ず、これを想い、またこれを思い、ただに三思のみならず、三百思もなお足るべからずといえども、その細目の適宜を得んとするは、とうてい人智の及ぶところに非ざれば、大体の定則として政府と人民と相分れ、直接の関係をやめて間接に相交わるの一法あるのみ。
 人あるいはこの説を聞き、政府と人民と相遠ざかることあらば、気脈を通ぜずして、必ず不和を生ぜんという者あるべしといえども、ひっきょう、未だ思わざるの論のみ。余輩のいわゆる遠ざかるとは、たがいに遠隔して敵視するをいうに非ず、また敬《けい》してこれを遠ざくるの義にも非ず。遠ざかるは近づくの術なり、離るるは合するの方
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