って改め、無辜《むこ》の人民は身の進退を貸して他の草紙に供するが如きことあらん。国のために大なる害なり。あるいはこれを捨てて用いざらんか、怨望《えんぼう》満野《まんや》、建白の門は市《いち》の如く、新聞紙の面は裏店《うらだな》の井戸端の如く、その煩《わずら》わしきや衝《つ》くが如く、その面倒なるや刺すが如く、あたかも無数の小姑《こじゅうとめ》が一人の家嫂《よめ》を窘《くるしむ》るに異ならず。いかなる政府も、これに堪ゆること能わざるにいたらん。これに堪えずして手を出だせば、ついに双方の気配を損じ、国内に不和を生ずることあらん。また国のために害ありというべし。左にその一例をしめさん。
今の民権論者は、しきりに政府に向いて不平を訴うるが如くなるは何ぞや。政府は、果して論者と思想の元素を殊《こと》にして、その方向まったく相反するものか。政府は、前にいえる廃藩置県以下の諸件を慊《こころよし》とせずして、論者の持張《じちょう》する改進の旨とまったく相戻《あいもと》るものか。あるいはかりに政府をして改進を悦ばざるものとするも、この事物の変革、人心の騒乱に際して、政府のみひとりその方向を別にするを得べきか。余輩決してこれを信ぜず。論者といえどもまた然らん。政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なりとのことは、前《ぜん》すでにこれを述べて、論者もこれに同意したることならん。
然らばすなわち論者が不平を訴うるところは、事の元素にあらずしてその枝葉にあり、政府の精神にあらずしてその外形にあること、明らかに知るべし。この枝葉・外形の事よりして双方の間に不和を生じ、改進の一元素中に意外の変を起すは、国のためにもっとも悲しむべき事ならずや。すなわち、編首にいわゆる直接のために眼光を掩《おお》われて地位の利害に眩《げん》するものなり。
たとえば新聞記者の禁獄の如し。その罰の当否はしばらく擱《さしお》き、とにかくに日本国において、学者と名づくる人物が獄屋に入りたるという事柄は、決して美談に非ず。窃盗博徒といえども、これを捕縛してもらさざるは、法律上において称すべき事なれども、その囚徒が獄内に充満するは、祝すべきに非ず。窃盗博徒、なおかつ然り、いわんや字を知る文人学者においてをや。国のためにもっとも悲しむべき事なり。この一段にいたりては、政府の人においても、学者の仲間においても、いやしくも愛国の念あらん者なれば、私情をさりてこれを考え、心の底にこれを愉快なりと思う者はなかるべし。
なおこれよりも禍《わざわい》の大なるものあり。前すでにいえる如く、我が国内の人心は守旧と改進との二流に分れ、政府は学者とともに改進の一方におり、二流の分界判然として、あたかも敵対の如くなりしかども、改進の人は進みて退かず、難を凌《しの》ぎ危を冒《おか》し、あえて寸鉄に衂《ちぬ》らずしてもって今日の場合にいたりたるは、ただに強勇というべきのみに非ず、これを評して智と称せざるべからず。然るに今|些々《ささ》たる枝葉よりして、改進一流の内にあたかも内乱を起し、自家の戦争に忙わしくして外患をかえりみず、ついにはかの判然たる二流の分界も、さらに混同するのおそれなきに非ず。もとよりこの二流は、はじめより元素を殊にするものなれば、とうてい親和|抱合《ほうごう》すべからざるものと思わるれども、人事|紛紜《ふんうん》の際には思《おもい》のほかなる異像を現出するものなり。近くその一例を示さん。
旧幕府の末年に、天下有志の士と唱うる人物の内には、真に攘夷家もあり、また真に開国家もあり。この開攘《かいじょう》の二家ははじめより元素を殊にする者なれば、理において決して抱合《ほうごう》すべきに非ざれども、当時の事情紛紜に際し、幕府に敵するの目的をもって、暫時《ざんじ》の間、異種の二元素、たがいに相投じたることあり。これを思えば、今の民権論者が不平を鳴らすその間に、識らず知らずしてその分界を踏出し、あるいは他より来りてその界《さかい》を犯し、不平の一点において、かの守旧家と一時の抱合をなすのおそれなしというべからず。理をもって論ずれば、万々心配なきが如くなれども、通常の人は、さまで深謀遠慮なきものなり。
民権論者とて悉皆《しっかい》老成人に非ず。あるいは白面《はくめん》の書生もあらん、あるいは血気の少年もあらん。その成行《なりゆき》決して安心すべからず。万々一もこの二流抱合の萌《きざし》を現わすことあらば、文明の却歩《きゃくほ》は識者をまたずして知るべし。これすなわち禍の大なるものなり。国の文明を進めんとしてかえってこれを妨ぐるは、愛国者の不面目これよりはなはだしきはなかるべし。
論者つねにいわずや、一国の政府は人民の反射なりと。この言、まことに是《ぜ》なり。瓜《うり》の蔓《つる》に茄子《なす
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