私塾を立つるも、この趣意を達せんとするなり。その得、五なり。
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右所論の得失を概していえば、官学校は教育入用の財あれども、この財を用いて人を教うるの術に乏し。私学校は人を教えて世の裨益《ひえき》をなすべき術に富めるといえども、この術を実地に施すべき財に貧なり。ゆえに、学校を建つるの要訣《ようけつ》は、この得失を折衷《せっちゅう》して、財を有するものは財を費《ついや》し、学識を有するものは才力を尽し、もって世の便利を達するにあり。
そもそも文学と政治と、その世に功徳《くどく》をなすの大小いかんを論ずるときは、此彼《しひ》、毫《ごう》も軽重の別なし。天下一日も政治なかるべからず、人間一日も文学なかるべからず、これは彼を助け、彼はこれを助け、両様並び行われて相《あい》戻《もと》らず、たがいに依頼して事をなすといえども、その地位はおのずから両立の勢《いきおい》をなせるものなれば、政治の囲範《いはん》に文学を繋《つな》ぐべからず。これすなわち学者をして随意に書を読ましめ、国典を犯すに非ざれば咎《とが》めざるゆえんなり。また、文学をもって政治を籠絡《ろうらく》すべからず
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