》のお職女郎。娼妓《おいらん》じみないでどこにか品格《ひん》もあり、吉里には二三歳《ふたつみッつ》の年増《としま》である。
「だッて、あんまりうるさいんだもの」
「今晩もかい。よく来るじゃアないか」と、小万は小声で言ッて眉を皺《よ》せた。
「察しておくれよ」と、吉里は戦慄《みぶるい》しながら火鉢の前に蹲踞《しゃが》んだ。
張り替えたばかりではあるが、朦朧《もうろう》たる行燈《あんどう》の火光《ひかげ》で、二女《ふたり》はじッと顔を見合わせた。小万がにッこりすると吉里もさも嬉《うれ》しそうに笑ッたが、またさも術なそうな色も見えた。
「平田さんが今おいでなさッたから、お梅どんをじきに知らせて上げたんだよ」
「そう。ありがとう。気休めだともッたら、西宮さんは実があるよ」
「早く奥へおいでな」と、小万は懐紙で鉄瓶《てつびん》の下を煽《あお》いでいる。
吉里は燭台《しょくだい》煌々《こうこう》たる上《かみ》の間《ま》を眩《まぶ》しそうに覗《のぞ》いて、「何だか悲アしくなるよ」と、覚えず腮を襟《えり》に入れる。
「顔出しだけでもいいんですから、ちょいとあちらへおいでなすッて下さい」と、例のお熊は障子の外から声をかけた。
「静かにしておくれ。お客さまがいらッしゃるんだよ」
「御免なさいまし」と、お熊は障子を開けて、「小万さんの花魁、どうも済みませんね」と、にッこり会釈し、今奥へ行こうとする吉里の背後《うしろ》から、「花魁、困るじゃアありませんか」
「今行くッたらいいじゃアないか。ああうるさいよ」と、吉里は振り向きもしないで上の間へ入ッた。
客は二人である。西宮は床の間を背《うしろ》に胡座《あぐら》を組み、平田は窓を背《うしろ》にして膝《ひざ》も崩《くず》さずにいた。
西宮は三十二三歳で、むッくりと肉づいた愛嬌《あいきょう》のある丸顔。結城紬《ゆうきつむぎ》の小袖に同じ羽織という打扮《いでたち》で、どことなく商人らしくも見える。
平田は私立学校の教員か、専門校の学生か、また小官員《こかんいん》とも見れば見らるる風俗で、黒七子《くろななこ》の三つ紋の羽織に、藍縞《あいじま》の節糸織《ふしいとおり》と白ッぽい上田縞の二枚小袖、帯は白縮緬《しろちりめん》をぐい[#「ぐい」に傍点]と緊《しま》り加減に巻いている。歳《とし》は二十六七にもなろうか。髪はさまで櫛《くし》の歯も見えぬが、房々と大波を打ッて艶《つや》があって真黒であるから、雪にも紛う顔の色が一層引ッ立ッて見える。細面ながら力身《りきみ》をもち、鼻がすッきりと高く、きッと締ッた口尻の愛嬌《あいきょう》は靨《えくぼ》かとも見紛われる。とかく柔弱《にやけ》たがる金縁の眼鏡も厭味《いやみ》に見えず、男の眼にも男らしい男振りであるから、遊女なぞにはわけて好かれそうである。
吉里が入ッて来た時、二客《ふたり》ともその顔を見上げた。平田はすぐその眼を外《そ》らし、思い出したように猪口《ちょく》を取ッて仰ぐがごとく口へつけた、酒がありしや否やは知らぬが。
吉里の眼もまず平田に注いだが、すぐ西宮を見て懐愛《なつか》しそうににッこり笑ッて、「兄さん」と、裲襠《しかけ》を引き摺ッたまま走り寄り、身を投げかけて男の肩を抱《いだ》いた。
「ははははは。門迷《とまど》いをしちゃア困るぜ。何だ、さッきから二階の櫺子《れんじ》から覗いたり、店の格子に蟋蟀《きりぎりす》をきめたりしていたくせに」と、西宮は吉里の顔を見て笑ッている。
吉里はわざとつんとして、「あんまり馬鹿におしなさんなよ。そりゃ昔のことですのさ」
「そう諦《あきら》めててくれりゃア、私も大助かりだ。あいたたた。太股《ふともも》ふッつりのお身替りなざア、ちとありがた過ぎる方だぜ。この上|臂突《ひじつ》きにされて、ぐりぐりでも極《き》められりゃア、世話アねえ。復讐《しかえし》がこわいから、覚えてるがいい」
「だッて、あんまり憎らしいんだもの」と、吉里は平田を見て、「平田さん、お前さんよく今晩来たのね。まだお国へ行かないの」
平田はちょいと吉里を見返ッてすぐ脇《わき》を向いた。
「さアそろそろ始まッたぞ。今夜は紋日《もんび》でなくッて、紛紜日《もめび》とでも言うんだろう。あッちでも始まればこッちでも始まる。酉《とり》の市《まち》は明後日《あさッて》でござい。さア負けたア負けたア、大負けにまけたアまけたア」と、西宮は理《わけ》も分らぬことを言い、わざとらしく高く笑うと、「本統に馬鹿にしていますね」と、吉里も笑いかけた。
「戯言《じょうだん》は戯言だが、さッきから大分|紛雑《もめ》てるじゃアないか。あんまり疳癪を発《おこ》さないがいいよ」
「だッて。ね、そら……」と、吉里は眼に物を言わせ、「だもの、ちッたあ疳癪も発りまさアね」
「そうかい。来てるのかい
前へ
次へ
全22ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
広津 柳浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング