れ。誰が笑ッたッて、笑ッたッていい。笑ッたッていいよ。察しておくれのは、小万さんばかりだわね。察しておいでだろう。察しておいでだとも。本統に察しがいいんだもの。ほほほほほ。おや、名山さん。千鳥さんもおいでだね。初緑さん。初紫さん。此糸さんや、おくれなその盃を。私しゃお酒がうまくッて、うまくッて、うまくッて、本統にうまいの。早くおくれよ。早く、早く、早くさ」
吉里はにやにや[#「にやにや」に傍点]笑ッていて、それで笑いきれないようで、目を坐《す》えて、体をふらふら[#「ふらふら」に傍点]させて、口から涎《よだれ》を垂《た》らしそうにして、手の甲でたびたび口を拭いている。
「此糸さん、早くおくれッたらよ、盃の一つや半分、私しにくれたッて、何でもありゃアしなかろうよ」
「吉里さん」と、小万は呼びかけ、「お前さんは大層お酒が上ッたようだね」
「上ッたか、下ッたか、何だか、ちッとも、知らないけれども、平右衛門《へいえもん》の台辞《せりふ》じゃアないが、酒でもちッと進《めえ》らずば……。ほほ、ほほ、ほほほほほほほ」
「飲めるのなら、いくらだッて飲んでおくれよ。久しぶりで来ておくれだッたんだから、本統に飲んでおくれ、身体《からだ》にさえ触《さわ》らなきゃ。さア私しがお酌をするよ」
吉里はうつむいて、しばらくは何とも言わなかッた。
「小万さん、私しゃ忘れやアしないよ」と、吉里はしみじみと言ッた。「平田さん……。ね、あの平田さんさ。平田さんが明日|故郷《くに》へ行くッて、その前の晩に兄《にい》、に、に、西宮さんが平田さんを連れて来て下さッたことが……。小万さん、よく私に覚えていられるじゃアないかね。忘れられないだけが不思議なもんさね。ちょうどこの座敷だッたよ、お前さんのこの座敷だッたよ。この座敷さ、あの時ゃ。私が疳癪《かんしゃく》を起して、湯呑みで酒を飲もうとしたら、毒になるから、毒になるからと言ッて、お前さんが止めておくれだッたッけねえ。私しゃ忘れやアしないよ」と、声は沈んで、頭《つむり》はだんだん下ッて来た。
「あの時のお酒が、なぜ毒にならなかッたのかねえ」と、吉里の声はいよいよ沈んで来たが、にわかにおかしそうに笑い出した。「ほほ、ほほほほほ。お酒が毒になッて、お溜《たま》り小法師《こぼし》があるもんか。ねえ此糸さん。じゃア小万さん、久しぶりでお前さんのお酌で……」
吉里は
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