い》んですから、何も出来ゃアしませんよ。桶豆腐《おけどうふ》にでもしましょうかね。それに油卵《あぶたま》でも」
「何でもいいよ。湯豆腐は結構だね」
「それでよござんすね。じゃア、花魁お連れ申して下さい」
吉里は何も言わず、ついと立ッて廊下へ出た。善吉も座敷着を被《はお》ッたまま吉里の後《あと》から室を出た。
「花魁、お手拭は」と、お熊は吉里へ声をかけた。
吉里は返辞をしない。はや二三間あちらへ行ッていた。
「私におくれ」と、善吉は戻ッて手拭を受け取ッて吉里を見ると、もう裏梯子を下りようとしていたところである。善吉は足早に吉里の後を追うて、梯子の中段で追いついたが、吉里は見返りもしないで下湯場《しもゆば》の方へ屈《まが》ッた。善吉はしばらく待ッていたが、吉里が急に出て来る様子もないから、われ一人|悄然《しょうぜん》として顔を洗いに行ッた。
そこには客が二人顔を洗ッていた。敵娼《あいかた》はいずれもその傍に附き添い、水を杓《く》んでやる、掛けてやる、善吉の目には羨ましく見受けられた。
客の羽織の襟が折れぬのを理《なお》しながら善吉を見返ッたのは、善吉の連初会《つれじょかい》で二三度一座したことのある初緑《はつみどり》という花魁である。
「おや、善さん。昨夜《ゆうべ》もお一人。あんまりひどうござんすよ。一度くらいは連れて来て下すッたッていいじゃありませんか。本統にひどいよ」
「そういうわけじゃアないんだが、あの人は今こっちにいないもんだから」
「虚言《うそ》ばッかし。ようござんすよ。たんとお一人でおいでなさいよ」
「困るなアどうも」
「なに、よござんすよ。覚えておいでなさいよ。今日は昼間遊んでおいでなさるんでしょう」
「なに、そういうわけでもない」
「去《かえ》らないでおいでなさいよ、後で遊びに行きますから」
「東雲《しののめ》さんの吉《きッ》さんは今日も流連《なが》すんだッてね」と、今一人の名山《めいざん》という花魁が言いかけて、顔を洗ッている自分の客の書生風の男の肩を押え、「お前さんも去《かえ》らないで、夕方までおいでなさいよ」
「僕か。僕はいかん。なア君」
「そうじゃ。いずれまた今晩でも出直して来るんじゃ」
「よござんすよ、お前さんなんざアどうせ不実だから」
「何じゃ。不実じゃ」
「名山さん、金盥《かなだらい》が明いたら貸しておくれよ」と、今客を案内して来た
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