が泣いてばかりいちゃア、談話《はなし》は出来ないし、実に困りきッていたんだ。これで私もやっと安心した。実にありがたい」
吉里は口にこそ最後の返辞をしたが、心にはまだ諦めかねた風で、深く考えている。
西宮は注《つ》ぎおきの猪口を口へつけて、「おお冷めたい」
「おや、済みません、気がつかないで。ほほほほほ」と、吉里は淋しく笑ッて銚子を取り上げた。
眼千両と言われた眼は眼蓋《まぶた》が腫《は》れて赤くなり、紅粉《おしろい》はあわれ涙に洗い去られて、一時間前の吉里とは見えぬ。
「どうだね、一杯《ひとつ》」と、西宮は猪口をさした。吉里は受けてついでもらッて口へ附けようとした時、あいにく涙は猪口へ波紋をつくッた。眼を閉《ねむ》ッて一息に飲み乾し、猪口を下へ置いてうつむいてまた泣いていた。
「本統でしょうね」と、吉里は涙の眼で外見《きまり》悪るそうに西宮を見た。
「何が」と、西宮は眼を丸くした。
「私ゃ何だか……、欺《だま》されるような気がして」と、吉里は西宮を見ていた眼を畳へ移した。
「困るなア、どうも。まだ疑ぐッてるんだね。平田がそんな男か、そんな男でないか、五六年兄弟同様にしている私より、お前さんの方がよく知ッてるはずだ。私がまさかお前さんを欺す……」と、西宮がなお説き進もうとするのを、吉里は慌《あわ》てて遮《さえぎ》ッた。「あら、そうじゃアありませんよ。兄さんには済みません。勘忍して下さいよ。だッて、平田さんがあんまり平気だから……」
「なに平気なものか。平生あんなに快濶《かいかつ》な男が、ろくに口も利《き》き得ないで、お前さんの顔色ばかり見ていて、ここにも居得《いえ》ないくらいだ」
「本統にそうなのなら、兄さんに心配させないで、直接《じか》に私によく話してくれるがいいじゃアありませんか」
「いや、話したろう。幾たびも話したはずだ。お前さんが相手にしないんじゃないか。話そうとすると、何を言うんですと言ッて腹を立つッて、平田は弱りきッていたんだ」
「だッて、私ゃ否《いや》ですもの」と、吉里は自分ながらおかしくなったらしくにっこりした。
「それ御覧。それだもの。平田が談話《はな》すことが出来るものか。お前さんの性質《きしょう》も、私はよく知ッている。それだから、お前さんが得心した上で、平田を故郷《くに》へ出発《たた》せたいと、こうして平田を引ッ張ッて来るくらいだ。不実に
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