。それだから句法も散文と違はないものが用ゐられるわけだ。しかし歌のやうな短いものの中へ、これからの新らしい複雑な思想を盛るには、形を壊してしまふか、新たに従来ない様な句法を採り入れるか何れかによらねばなるまい。前者は啄木によつて試みられたもの、後者は晶子さんが若い時乱れ髪でやつて成功しなかつた方法である。それに懲りてか晶子さんは成るべく之を避けた。教養の豊かな字彙に富んだ晶子さんなら避けることも出来るが、之からの若い人達にはそれは望めない。勢ひこれからは従来の散文にない新らしい句法のどしどし用ひられる時代が来よう。私はむしろそれを望む。この歌の初めの一句「後ろにも」は本来なら次の「湖水を」の次に来なくては意味が取りにくいのであるが、短歌のもつ制約の為にそれが顛倒したのである。こんな所からはじめて見たらどんなものであらうか。秋の進まないのに草の早く枯れかかつたのは、山の上だからでもあらうが、前後に湖沼を控へ朝夕その冷気を受けるからであらうといふのである。

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うつら病む春くれがたやわが母は薬に琴を弾けよと云へど
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 薬に琴を弾くといふ云ひ方
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