の湿気の多い頭の重い状態である。詩人のものを考へるや、ある時は自己を中心として世界が囘転するやうに考へ、ある時は自己を空虚にして対境のみ存するやうに思ふのであるが、この歌は初めの場合の最も極端な例で、自己の外に何物も見ない形である。詩は常識ではない。常識はまた詩であり得ない。逆にいへば非常識は詩になり得るわけである。それと同じに極端は多くの場合詩になり得るので、この歌では「尽く」がそれに当る。

[#ここから2字下げ]
高力士候ふやとも目を上げて云ひ出でぬべき薔薇の花かな
[#ここで字下げ終わり]

 高力士は玄宗皇帝の取巻き、薔薇の花が楊貴妃になつてめをさまし、高力士と呼ぶ形である。薔薇の花の妖艶な姿もここ迄来ればよくあらはれる。

[#ここから2字下げ]
ソロモンの古き栄華に勝《まさ》るもの野の百合のみと思はぬも我
[#ここで字下げ終わり]

「思ふも我」がどこかに略されてゐなければならぬ言葉遣ひである。しからば何と思ふのであらう。勝るもの色々あるだらうが例へば恋などは第一だと思ふも我といふ句が隠れてゐるわけである。読者は各自、自身の「思ふも我」を補足して見なければならぬ。

[#
前へ 次へ
全349ページ中333ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平野 万里 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング