じ思想、同じ感じは経典から学び取つたものでなくて生れながらにして持つてゐたものらしい。擬人法が少し過ぎる位に使はれるのもこの思想感情のあらはれで作者にとつては少しもわざとらしいことではないのであらう。この歌の場合などは「めきし」となつてゐて擬人とまで行つて居らず、奈良を吹く秋風が伽藍の中でも、お宮の中でも伶人らしく振舞つてそれぞれの楽を奏して来たが、しまひに春日野に出て鹿の背を撫で、なほ嫋々たる余音を断たないといふほどの心で人を驚かすほどのことはないが、他の多くの場合には後に出て来る筈だが大にそれがある。
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千鳥啼き河原の上の五六戸が甘げに吸へる日の光かな
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之はまだ健康体であつた十四年の正月、上野原の依水荘での作。窓から冬枯の川原が広広と見渡され、千鳥が啼き、川糸遊が立ち山の朝日が昇つて初春らしい気分になる。河原の左側の堤の上の農家の家根がさも甘さうに日光を吸つてゐるといふのであるが、対境に同感するやさしい心、歌に裏をつける心持も同時に感ぜられる。
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比叡の嶺に薄雪すると粥くれぬ錦織るなる美くしき人
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