ならない。人が一歩歩く間に百里飛んでしまつたのでは調子が合はないから後退しようとするが、足で一歩退くのではどうにもならない。まづさういつたやうな不合理である。世間の凡俗と自分との距離の大きさを痛感し当惑したものであらう。例へばこんな場合がある。源氏の作者を二人に分け、宇治十帖を娘の大貳三位の作と断じたのなどは、自分には極めて明白で疑ふ余地のないことである。文章を読み破る力のある人、歌の調子又そのよしあしを判別し得る人なら誰でも気がつく筈である。それを今日迄誰一人気づくものもなく、又今日私がそれを云ひ出しても一人の同意者も得られない。当惑せずにはゐられないではないか。
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落葉ども昔住みつる木の影の写ると知るや暖き庭
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これもいつもの万有教的観察のあらはれで、冬の日の暖かい日ざしはそのまま作者の人間の心の暖かさを呼び出し、地上一面に散らばつて落葉にまで話しかけさせるのである。
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青海波金に摺りたる袴して渡殿に立つわが舞の仕手
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美しい若い女の子の仕舞姿をたたへるものであらう。之に続いて
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