るが、置いて恐れようとは普通は考へないのである。既に恐れようといふのであるから、未来へ持つていつても現在に比しそれほどよいことにはならない。そこで許されん願ひなりせばと大袈裟にはいふものの、無理なえて勝手な願ひでも何でもない、今と大した変化を望んではゐないことになる。非望は人の同情を惹かない、もし「恐れん」がなかつたら非望になるのである。この歌の生命を分解すると先づこんなことにならうか。
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ほととぎす東雲時《しののめどき》の乱声《らんじやう》に湖水は白き波立つらしも
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これも赤城山頂の大沼などを想像しての作であらう。山上の初夏、明方ともなれば、白樺林にはほととぎすが喧しい位啼き続けることだらう、その声が水に響いて静かなまだ明けきらぬ湖水には白波が立つことだらう。作者はこんな想像をめぐらして楽しんでゐる、而してそれを歌に作つて読者に頒つのである。
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宮の下車の夫人おしろいを購ひたまふさる事もしき
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多分同行の近江夫人が先に帰られるのを送つて宮の下まで車で行かれた時、作者が降りると夫人も
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