、庭の萩を見ながら詠まれたもので、作者の平安趣味のすらすらと少しも巧まずに眼前の風物を縁にあらはれてゐる気持のよい歌である。しかし斯ういふ歌はあまり真似をしてはいけない。真似ても歌にはなりにくい。なぜなら人間の反映がこの歌を為してゐる。さういつても過言でないからである。
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少女《をとめ》なれば姿は羞ぢて君に倚る心天ゆく日もありぬべし
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晶子さんを親しく知らない人は、その書いたものから逞しい女丈夫などを想像するかも知れないが、実は若い時から物静かなはにかみやで、見た所は純日本風のしとやかな奥様でしかなかつた。唯心中に炬火が燃え盛つてゐて、又自らの天分を高く評価して居られたのが他との相違である。それをその儘詠出するとこの歌になる。
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片隅に柿浸されし上つ毛の古笹の湯の思はるる秋
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静かに病床に横たはる長い病人が、大分薄れた意識で曾遊の地を思ひ出す場合、印象の強く残つたものだけが浮び上つて来ることだらうと推定される。従つてさうして出来た歌も自ら印象的のものとなつて、殆ど凡てが金玉の響を伝へ
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