の歌がある。実際渋谷の家も千駄谷の家も表は向日葵で輝いてゐた、蒲原有明先生の如きもこの花を当時の新詩社の象徴だつたとして囘顧し居られる。
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たかだかと太鼓鳴り出づ鞍馬山八島にことの初まりぬらん
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同じ時鞍馬山に遊んだ作の一つ。貫主僧正が御弟子さんなので屡※[#二の字点、1−2−22]遊ばれ、この折は金剛寿命院の新築が成功した際とて沢山歌を読まれてゐる。急に太鼓が鳴り出したのでおや八島で戦ひが初まつたらしいといふ牛若の生長した義經を使つたノンセンスを言ひ構へ、それに依つて当の鞍馬の情景を彷彿せしめた歌だ。こんな手法は相当の達人でなければやれない事だが又やつてはならない事でもある。
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八月や水蘆いたく丈伸びてわれ喚びかねつ馬洗ふ人
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蘆が伸びて視界を隠した為、呼んでも声が届かない様な錯覚に陥る、そこに興味の中心が置かれてゐるやうであるが、その田舎びた環境と共に珍しい面白い歌である。
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花見れば大宮の辺の恋しきと源氏に書ける須磨桜咲く
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誰にでもよいから試みに須磨にて桜の咲くのを見て詠めるといふ前書の歌を作らせたらどうであらう。これ以上の歌が出来ようか。私は出来まいと思ふ。啄木でも吉井勇君でも出来まい。いはんや他の諸君など思ひもよらない。須磨桜などいふ造語の旨さはたまらない。
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今日充ちて今日足らひては今日死なん明日よ昨日よ我の知らぬ名
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これこそ晶子さんの一生を通じて生活の基調となつてゐた哲学であり宗教であつて、六十五年の偉大な生涯は唯その実行に外ならなかつた、しかし浅薄な刹那主義と混同して貰ひたくない。四十余年の長い間作者に接近した私としては、禅の即今に通じ、道元禅師の今日一日の行持に通じ、耶蘇の空飛ぶ鳥の教へに通ずる永遠の現在らしいものを生れながらにして身に著けてゐた人だと思ふ外はない。
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花吹雪兵衛の坊も御所坊も目におかずして空に渦巻く
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有馬での作。何々坊といふのは有馬の湯の宿特有の名でその広大な構へと相俟つてこの温泉の古い歴史と伝統とを誇示してゐる。有馬には桜が多くその散り方の壮観が思はれるが、それが坊名をあしらふことによつて有馬情調そのまゝに表現されてゐる。
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下京《しもぎやう》や紅屋《べにや》が門《かど》をくぐりたる男うつくし春の夜の月
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[#全角アキは底本ではなし]うつくしはもとかはゆしとあつてそれ故に名高かつた歌の一つである。ここには作者の意志を尊重して改作の方に従つたが、晶子フアンの一人兼常博士などはかはゆしでなければいけないと主張される。成程さう聞くとかはゆし[#「かはゆし」は底本では「かあゆし」]の方がよいかも知れない。しかし要は下京あたりの春の夜の情調が出ればそれでよいのであらう。紅屋とは紅花を煮て京紅をつくる家の意味であらう。若旦那か番頭か美男が一人門から出て来たといふのであるが、断るまでもなくこれは明治時代の話です。
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山荘へ凧吹かれぬと取りに来ぬ天城なりせば子等いかにせん
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伊豆三津の五杉山荘滞在中の作、子供が山荘へ落ちた凧を取りに来た。山荘だからよかつたものの、このうしろの天城山へでも飛んだのだつたらどうだらうといふ即事のユウモアであるが、このユウモアがこればかりの些事を生かして一個の詩を成立させてゐるのである。
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網倉の隅に古網人ならば寂しからまし我がたぐひかは
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どこの漁村でも網倉といつたものはあらう。三津浜のそれは相当大きなもので私もそれをのぞいて見たことがある様な気がする。その隅の方に今は使はれない古網が棄てられてあつた。作者はそれを我が身に引きくらべ、わたしどころではないと寂しさうな古網に同情した歌である。非情をとらへて生あるものの様に取り扱ふ手法は何も珍しい事ではないが、この作者の場合は実に迫つて相手の非情に自己の生命を分けてゐるやうにさへ感ぜられる。
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養はるる寺の庫裡なる雁来紅輪袈裟は掛けで鶏《とり》追はましを
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この歌も今日では立派なクラシツクで、古来の名歌と一列に朗々として誦すべきものの一つであらう。庫裡の前の雁来紅が真紅に燃えて秋も漸く深い、さて配するにこの寺の養子であるいたづら盛りの小僧さんを以てして情景を浮び上らせてゐるわけだ。寛先生自身又その令兄達皆幼時からそれぞれ寺に養はれた事実があるが、それがこの歌のモチイ
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