る、まるで一つの大きな白い蓮の花だ。作者の椽大な筆でもこれ以上の表現は先づ出来まいと思はれる極限まで書いてゐる。而して殆ど何時もさうである。
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鹿の来て女院を泣かせまつりたる日の如くにも積れる落葉
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久し振りで平家をあけてこの行りを読んで見る。斯くて神無月の五日の暮方に庭に散り敷く楢の葉を物踏みならして聞こえければ、女院世を厭ふ処に何者の問ひ来るぞ、あれ見よや、忍ぶべきものならば急ぎ忍ばんとて見せらるるに、小鹿の通るにてぞありける。女院、さて如何にやと仰せければ、大納言佐の局涙を押さへて、岩根踏み誰かは訪はん楢の葉の戦ぐは鹿の渡るなりけり 女院哀れに思召して、此歌を窓の小障子に遊ばし留めさせおはしますとある。建禮門院は史上の女性の内でも作者の好んで涙を注いだ人で、既に前にもほととぎす治承寿永の歌を出したが、平家を詠ずる歌の中にも 西海の青にも似たる山分けて閼伽の花摘む日となりしかな といふのがある。まだあるかも知れない。
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水仙を華鬘《けまん》にしたる七少女氷まもりぬ山の湖
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赤城山頂の大沼は冬は一枚の氷となつてしまふ。それを切り出して氷室に貯へ、夏になつて前橋へ運んで売り出す、作者が赤城へ登つた時代にも立派な一つの産業になつてゐた。その大沼の凍つた冬の日の光景を象徴しようとしたもので、華鬘は印度風の花簪であるから従つてこの七少女も日本娘ではない、当時藤島武二画伯が好んで描かれたやうなロマンチツクな少女を空想して氷の番をさせたのである。ただ七少女だけは神武の伝説に本づくのであらうから少しは日本にも関係はある。
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家家が白菊をもて葺く様に月幸ひす一村の上
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十二月の冬の月が武蔵野の葉を落した裸木と家根とを白く冷くしかし美しく照してゐる、それを白菊をもて葺くと現はし、月のお蔭でさうあるのを月幸ひすと云ひ又それを広く村全体に及ぼした差略など唯々恐れ入る。ことに月幸ひすとは何といふ旨さだ。
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恐ろしき恋醒心何を見る我が目捕へん牢舎《ひとや》は無きや
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恋の醒めた心で見直すと光景は全く一変するだらう。美は醜に、善は悪に、実は虚に、真は偽に変るかも知れない。そんな恐ろしい光
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