車が著いたので瀬並温泉の宿の主人が客を案内してどやどや帰つて来た。その中にも君は居ない。そんな気の迷ひはよさうと思ふがつい思はれるといふ位の感じであるが、目前の小景をその儘使う所にこの歌の値打ちが存するのであらう。
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たたかひは見じと目閉づる白塔に西日しぐれぬ人死ぬ夕
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日露戦争は主として軍人の戦ひであつて国民はあまりあづからなかつた。せいぜい提灯行列に加はつた位のものである。非戦論も大して咎められなかつた。当時の青年層は大体に於て我関せず焉で、明星などその尤なるものであつた。晶子さんは一歩進んで有名な「君死にたまふことなかれ」といふ詩を作つて反戦態度を明かにした位で、問題にはなつたが、賛成者も多かつた。この白塔の歌はいふ迄もなく、遼陽辺の戦ひを歌つたもので白塔はまた作者自身でもある。
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長岡の東山をば忘れめや雪の積むとも世は変るとも
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雪の長岡へ来て故人と共に遊んだ往年の秋を思ひ出し、雪景色とはなつたが、又世の中が変つて私は一人ぽつちになつて旅をしてゐるが、ここの東山をどうして忘れることが出来よう。誰にでも使へる様な平凡な言葉が平凡に組合されてゐるに過ぎないこの一首の歌が、反つて強く人の心に訴へる所のあるのは如何したことであらう。晶子歌の持つ不思議の一つである。この時の歌をも一つ。 我が旅の寂しきことも古へも我は云はねど踏む雪の泣く
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遠方《をちかた》に星の流れし道と見し川の水際《みぎは》に出でにけるかな
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恋人達の試みる夏の夕の郊外散策の歌である。とうとう川に出ましたね、さつき星の流れた辺ですよといふのであらうが、尤も之はむかしの話で今日の様にどこへ行つても人のごみごみしてゐる時代にはこんなのどかな歌は出来ないであらう。
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大海のほとりにあれば夜の寄らん趣ならず闇襲ひくる
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十二年の早春興津の水口屋に宿つてゐた時の作。家の裏は直ぐ大きな駿河湾で、大海のほとりにあるといふ感じのする宿である。日が暮れて夜が静かに忍びよるのではなく、この海辺に夜の来る感じは、いきなり暗闇《くらやみ》が襲ひかかるといふ方が当つてゐる。さうしてこの感じによつて逆に読者は自分も大海の辺
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