家の間吟として相応しい心憎い歌といふべきであらう。その内秀歌選の再版を出す様な折もあらうが、その際は極く少し許り改訂を試みたい。即ち軍に関係したものや満洲開拓の分などは削りたい。さうすると巻尾の歌はこの歌になるであらう。又鵠沼の歌には十三年頃詠まれた 鵠沼は広く豊かに松林伏し春の海下にとどろく といふのがある。
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ゆあみして泉を出でしわが肌に触るるは苦し人の世の衣《きぬ》
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「乱れ髪」の五十八首目にあり、裸体讃美の歌であるから、同集の持つ華麗な彩色の一つに数へられる。その頃明星は一條成美の簡単なスケツチ風裸絵の為に発売を止められた。さういふ時代であつたからこれも珍しかつたのである。集中無難な歌の一つで、それ故に作者も前記十四首の中に入れてゐる。
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禅院のそとの高松水色に霙けぶりて海遠く鳴る
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禅院は鎌倉の円覚寺を斥し、それは作者が好んで訪れ、又故寛先生の忌日なども大抵はここで行はれた因縁の深い寺院である、それを病床で空想に描いた歌で、この海もまた作者に最も親しい海である。鎌倉の海を思ふと直ちに私の口から出て来る歌がある。それは 鎌倉の由井が浜辺の松も聞け君と我とは相思ふ人 といふ歌である。「佐保姫」に出てゐるが、明治四十一年だと思ふ、私の動坂の寓居の歌会で作られたものである。はじめ互選の際作者を知らぬ儘に余りあらはなので私がけなしつけた処、後でそれが晶子さんのだと分つて、私の感じは不思議に表裏一転し忽ち之を讃美するやうになつた。さういふことがあつたので、今でも忘れないでゐる。若い人よ、歌を作るなら大胆に率直にこんな風に作つて見たら如何ですか。
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黒髪は王者を呼ぶに力わびず竜馬来たると春の風聴く
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これは第二集「小扇」(明治三十七年一月出版)の巻尾の歌で、調子の出来上つた後の作であるが、内容は「乱れ髪」を特色づける凛々たる勇気を誇示して恥ぢない歌だ。若い女が何物をも動かさずには置かない自らのはちきれさうな力を讃へるもので、日本文学にはそれまであまりなかつた思想である。春風を竜馬の訪れと聞くなど驚くべき矜貴といふべきである。 罪多き男こらせと肌きよく黒髪長くつくられし我 とか又有名な やは肌のあつき血汐に触れも見でさび
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