かだつた頃とは云ひながら、中々思ひきつた企てでもあつた。流石に沢山の御土産がもたらされた。之もその一つ。黒潮を越えて遠くこんな所までも来たが、なほ幽明の境の線は遠くして遠い。逢ふ由のない悲しみが言外に強く響いてゐる。式根島には海岸の岩礁の間に湯が湧いてゐて島人はそれに這入る。その湯の興味が多数詠まれてゐるので二三つ紹介すると 紫の潮と式根の島の湯を葦垣へだて秋風ぞ吹く 式根の湯|海気《かいき》封じておのづから浦島の子の心地こそすれ 秋風が岩湯を吹けど他国者窺ふほどは海女《あま》驚かず 硫黄の香立てゝ湯の涌き青潮の入りて岩間に渦巻を描《か》く 地奈多の湯海に鄰れど人の世に近き処と思はずに浴ぶ 海女《あま》少女《をとめ》海馬《かいば》めかしき若人も足附の湯に月仰ぐらん 唯二人岩湯通ひの若者の過ぎたる後の浜の夜の月 などがある。又他国者の珍しさが 沙に居て浅草者の宿男島に逃れて来しわけを述ぶ などとも歌はれ居り、又船の歌には 夜の船の乾魚の荷の片蔭にあれどいみじき月射してきぬ といふのもあり、兎に角この島廻りは一寸風変りなものだつたらしい。

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十五|来《き》ぬ鴛鴦の雄鳥の羽の如き髪に結ばれ我は袖振る
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 男の元服に相当する様な風俗でもあつたものらしく、十五になつたので鴛鴦鳥を思はせる様な髪をゆはせられた、さて鏡に向つて自分もいよいよ一人前の女になつたのかと喜び勇んだことを思ひ出した歌でもあらうか。まことに素直な歌で気持がよい。

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湖の舟の動きし束の間に我唯今を忘れけるかな
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 野尻湖でよまれた歌であるが、何とでも解釈が出来よう。私は今、舟の動いた拍子に過ぎ去つた日が忽然と帰つて来て現在に変つた趣きに解いて置かうと思ふ。それにしても何といふ旨い歌だらう。一生に一首でよいからこんな歌が作つて見たい。

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天竺の流沙に行くや春の水浪華の街を西す南す
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 昔の大阪、水の大阪、その大阪の春の情調を表現しようといふ試みであらうが、それが見事に成功し、既にクラシツクとして我が民族のもつ宝物の一つになつてゐる歌。いくら晶子さんでもざらに出来る歌でないこと勿論である。天竺の流沙はゴビの沙漠の事であらうが、そこへは沢山の川が流れ込んで消えてしまふ
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