をあしらふことによつて有馬情調そのまゝに表現されてゐる。
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下京《しもぎやう》や紅屋《べにや》が門《かど》をくぐりたる男うつくし春の夜の月
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[#全角アキは底本ではなし]うつくしはもとかはゆしとあつてそれ故に名高かつた歌の一つである。ここには作者の意志を尊重して改作の方に従つたが、晶子フアンの一人兼常博士などはかはゆしでなければいけないと主張される。成程さう聞くとかはゆし[#「かはゆし」は底本では「かあゆし」]の方がよいかも知れない。しかし要は下京あたりの春の夜の情調が出ればそれでよいのであらう。紅屋とは紅花を煮て京紅をつくる家の意味であらう。若旦那か番頭か美男が一人門から出て来たといふのであるが、断るまでもなくこれは明治時代の話です。
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山荘へ凧吹かれぬと取りに来ぬ天城なりせば子等いかにせん
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伊豆三津の五杉山荘滞在中の作、子供が山荘へ落ちた凧を取りに来た。山荘だからよかつたものの、このうしろの天城山へでも飛んだのだつたらどうだらうといふ即事のユウモアであるが、このユウモアがこればかりの些事を生かして一個の詩を成立させてゐるのである。
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網倉の隅に古網人ならば寂しからまし我がたぐひかは
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どこの漁村でも網倉といつたものはあらう。三津浜のそれは相当大きなもので私もそれをのぞいて見たことがある様な気がする。その隅の方に今は使はれない古網が棄てられてあつた。作者はそれを我が身に引きくらべ、わたしどころではないと寂しさうな古網に同情した歌である。非情をとらへて生あるものの様に取り扱ふ手法は何も珍しい事ではないが、この作者の場合は実に迫つて相手の非情に自己の生命を分けてゐるやうにさへ感ぜられる。
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養はるる寺の庫裡なる雁来紅輪袈裟は掛けで鶏《とり》追はましを
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この歌も今日では立派なクラシツクで、古来の名歌と一列に朗々として誦すべきものの一つであらう。庫裡の前の雁来紅が真紅に燃えて秋も漸く深い、さて配するにこの寺の養子であるいたづら盛りの小僧さんを以てして情景を浮び上らせてゐるわけだ。寛先生自身又その令兄達皆幼時からそれぞれ寺に養はれた事実があるが、それがこの歌のモチイ
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