こから2字下げ]
海恋し潮《しほ》の遠鳴り数へては少女となりし父母の家
[#ここで字下げ終わり]
この歌などは既に文学史上クラシツクに入るべきもので、今更鑑賞もをかしい位のものだが、いへば堺の生家を思ひ出した歌で海は静かな大伴の高師の海である。
[#ここから2字下げ]
自らは不死の薬の壼抱く身と思ひつつ死なんとすらん
[#ここで字下げ終わり]
発病の翌年の春意識の漸く囘復して歌を作りうるまでになつた時のもので、芸は長く命は短しの句を現実に自己の上に体験する作である。作者は自己の天分を深く信じその作が不朽のものであることを疑はないのに、それにも拘らず現に今死なうとしてゐる。而してそれを如何することも出来ないといふ心であらう。同じ頃の歌に 病む人ははかなかりけり縺れたる文字の外にはこし方もなし 木の間なる染井吉野の白ほどのはかなき命抱く春かな といふ様なのがある。之等はしかし、悲痛といふより反つてもの静かなあきらめの調子を帯びてゐて同調し易い。
[#ここから2字下げ]
つゆ晴の海のやうなる玉川や酒屋の旗や黍《もろこし》の風
[#ここで字下げ終わり]
之は決して写生の歌ではない。作者の白日夢でありシンフオニイである。歌を解剖したり色々詮議立をしたりなどしてはいけない。ドビツシイを味ふやうにその儘味へば滋味尽くる所を知らないであらう。繰り返し繰り返し唯口に任せて朗誦すればそれでよいのである。
[#ここから2字下げ]
船下り船上りくる橋立の久世の切戸に慰まぬかな
[#ここで字下げ終わり]
之は昭和十五年の春作者の試みた最後の旅行で、御弟子さん数名と橋立に泊つて作つた歌の一つだ。橋立は與謝野の姓の本づく所で特に因縁が深く、そこの山上には歌碑も建つてゐる。美しい水の上を遊船がしきりに上下する久世の切戸を見てゐれば厭きることもない。それだのに私は慰まない。あるべき人がゐないからである。それが因縁の深い橋立だけにあはれも深い。
[#ここから2字下げ]
髪に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]せばかくやくと射る夏の日や王者の花の黄金向日葵《こがねひぐるま》
[#ここで字下げ終わり]
雑誌「明星」の基調の一つは積極性であつた。さびやしをりの排撃であつた。花なら夏の向日葵が之を代表する。寛先生に有名な向日葵の詩があり、作者にこ
前へ
次へ
全175ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平野 万里 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング