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山行きて零れし朴の掌《たなぞこ》に露置く刻《こく》となりにけるかな
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秋の漸く深い水上温泉へ行つた時の歌。奥利根に添ひどこ迄も上つて行くと秋の日の暮れ易く道端に零れてゐた朴の葉の上にもう露が置いてゐた。では帰りませうといふ心であらう。
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半生は半死に同じはた半ば君に思はれあらんにひとし
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生きるならば全生命を燃やして生きます。半分生きるといふのは半分死ぬことですいやなことです、丁度あなたが半分だけ私を思つて、あとの半分で外の人を思ふのと同じです、私の堪へ得る所ではありません。恐らくは、はた半ば以下を言ひ度い為に、前の句を起したので目的は後の句にあるのであらう。
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月出でん湯檜曾《ゆびそ》の渓を封じたる闇の仄かにほぐれゆくかな
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月出でんで勿論切る。その底を利根川の流れる湯檜曾渓谷にはもう二時間も前から闇といふ真黒な渦巻とも気流とも分らないものが封じ込まれてゐたが、それが少しづつではあるがほぐれ出すけはひの見えるのは月が出るのであらう。闇がほぐれるとは旨いことを云つたものだ。
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神無月濃き紅の紐垂るる鶏頭の花白菊の花
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十一月といふ季節を音楽的に表現したものである。写生画を見るやうな積りで見てはならない。花の写生をしようなどいふ意図は毛頭ないからである。
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承久に圓位法師は世にあらず圓位を召さず真野の山陵
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この一首の調子の気高さ、すばらしさ、帝王の讃歌として洵に申し分のない出来だ。真野の山陵は佐渡に残された順徳院のそれである。作者は二囘佐渡に遊びその度にこの院を頌してゐる。院は歌人でもあり、歌学者としても一隻眼を具へ八雲御抄の著があつて当時の大宗匠定家にさへ承服しない見識が見えてゐて、晶子さんはそれを嘗て、定家の流に服し給はずと歌つてゐる位のお方だ。又西行は当時の権威に対し別に異は立てなかつたが窮屈な和歌を我流に解放した人である。もし西行が承久に生きて居たら、白峰に参つたやうに佐渡へも必ず渡つてもしそれが生前であつたら院の御機嫌を伺つたことであらう、院はどれほど喜ばれたことであらう。しかし時代が違つた為山陵すら白峰のや
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