それは大したものなのですよ。しかし調子の上の先縦はそれらしいものが全く無くはない。私はすぐ石川の女郎の 志可の海人《あま》は布《め》刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに を思ひ出した。
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初春に乗る鎌倉の馬車遅し今年の月日これに似よかし
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讖を為すといふ事があるが、この歌などもそれらしく思はれる。ヰクトリア型とかドロシユケとかいふのであらう簡易な馬車が不思議に鎌倉にだけ残つてゐて見物人を便した、夫妻も正月気分で物好にその馬車に乗つたものらしい。久しく自動車に慣れた近代人には牛の歩みの遅々としていかにも初春の気分になる。年を取るに従つて一年の立つ早さが段々早くなる、糸の先に石をつけて廻すやうだと云はれてゐる。この馬車の遅い様に今年だけは月日の立つのもゆつくりして欲しいと希つたのであるが、思ひ設けぬ結果となつてそれから三月目に良人を失ひ、その後の八九ヶ月の長さは果して如何であつたであらう。感慨なしにこの歌は読まれない。
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飲みぬけの父と銅鑼打つ兄者人《あじやひと》の中に泣くなる我が思ふ人
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サアカスの娘の歌である。昔我々は天地人間あらゆるものを歌つてやらうとした事があつた。この歌などもその試みの一つであるが、その後いつしかさういふ企てもやんでしまつたので、落し種ででもあるやうにぽつねんと今に残つてゐるのである。しかし眼前の小景や日常茶飯事を詠む許りが歌の能でもあるまい。大に眼を開いて万般の事象特に人間界の種々相に歌材を求める時代がその内には来ようから、この歌などもさういふ際には好個の御手本とならう。この歌の姉妹歌がもう一つある。曰く 兄達は胡桃を食らふ塗籠の小さきけものの類に君呼ぶ
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沙川の大方しみて海に出づ外へ流るる我が涙ほど
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遠浅の沙浜を歩いてゐると川の水の大部分は沙にしみ込みその末が僅に海に落ちるのを渡ることがよくある。由井が浜にもあつたやうだ。私の泣くのをこの頃人はあまり見かけないであらうが、それは涙が外へ流れないからである。水が沙にしむ様に中へしみ込んでしまつて外に出ないから人の目に触れないだけのことである。
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花草の原のいづくに金の家銀の家すや月夜蟋蟀
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