ずもがな東京の灯を目に置かずあるよしもがな など云ふのがあつて余程寂しかつたものに違ひない。何しろ荻窪の草分けで、東京へ通勤するものなどは一人も居なかつた時代のことであるから肯かれる。その寂しい思ひ出のある武蔵野に一人取り残されたのである。

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みくだもの瓜に塩してもてまゐる廊に野馬嘶く上つ毛の宿
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 胡瓜をむいてそれに塩をふりかけ、みくだものとして恭しく献上に及ぶ、その廊下には塩でも嘗めたい風に放牧の野馬が遊びに来て人なつかしく嘶く、これが上州の一宿屋の風景であるといふのであるが、これも赤城山上青木屋のそれであらう。

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思ひ出は尺取虫がするやうに克明ならず過現無差別
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 思ひ出といふものは尺取虫が尺をとりつつ進む様に規則正しくそれからそれと遡つたり又はその逆に昔から順を追つて思ひ出すなどといふものではない。過去現在一切無差別に一度に出て来て頭を混乱させる、それが今の私を苦しめる思ひ出[#「思ひ出」は底本では「思ひ出で」]の実態である。

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泣寝してやがてその儘|寝死《ねじに》してやさしき人の骸《から》と云はれん
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 作者には斯ういふ女らしいやさしい一面がある。その一面を抽出して手の平の上で愛撫してゐる心持、それがこの歌である。

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少女子が呼び集めたるもののごと白浜にある春の波かな
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 昭和十年早春偶※[#二の字点、1−2−22]上京した蘆屋の丹羽氏夫妻等と伊豆半島を一週し、その途上二月二十六日先生の六十三の誕生日が祝はれた。即ち 浅ましや南の伊豆に寿し君が[#「が」は底本では「か」]六十三春かこれ といふのがそれであるが、この行病を得て遂に起たず 歓びとしつる旅ゆゑ病得て旅せじと云ひせずなりにけり とそれが先生の最後の旅行になつてしまつた其の件、下田から白浜へ来て作られた歌の一つ。びちやびちや打ち寄せる静かな春の波の様子が情趣豊かにあらはされてゐる。又同じ波は 白浜の砂に上りて五百波暫し遊ぶを遂ふことなかれ とも歌はれてゐる。

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生れける新しき日に非ずして忘れて得たる新しき時
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 私達の間に新らしい日が産れて、その為に仲が
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