で、結果も万葉の旅人の感情などとは丸で違つてくるのである。

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ほととぎす明星岳によりて啼く姿あらねどさばかりはよし
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 朝早く起き日の覚める様な青葉の色を楽しんでゐると、向ひの明星山でほととぎすが啼き出した。声はあるがほととぎすの常として姿は見えない。姿の見えないといふ事は故人の場合には既にこの世の中に居ないといふことを表はしてゐて、私はその為に日夜悲しんでゐる。然るにほととぎすの場合は姿が見えずともちやんと生存して啼いてゐるのだ。姿のないのもこの程度なら歎くにも当るまいに、私の場合はさうでないから困るのである。

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白刃もて刺さんと云ひぬ恋ふと云ふ唯事千度聞きにける子に
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 私の手には白刃があります、これであなたを刺す為に私は来ました。私は斯う云つてしまつた。何故ならその男は多くの女に思はれ、その度に I love you のノンセンスを千度も聞いたわけで、何の感じもあるまいと思つたからである。私の場合に限つてそれがどんなに他の友達の遊戯と違つてゐるかを初めから知らせる為であつた。しかしそれは冗談ではない。私としてはほんとうに刺し兼ねないのだ。作者の之を作つた時の気持の中にはこんな感じも少しはあつただらうか。

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ゆくりなく君を奪はれ天地も恨めしけれど山籠りする
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 寛先生の亡くなられたのは全く偶然の結果であつて罪は旅行にある。それ故に「ゆくりなく」といひ、天地即ち山川を恨むといふのである。君を奪つたのは天地であり自然の風光である、それを思へば恨めしいが、その恨めしい天地の恩を得るためにまた私が来て山籠りをする、[#「、」は底本では欠落]をかしいことがあるものだ。

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素足して踏まんと云ひぬ病める人白き落花の夕暮の庭
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 早く盛りを過ぎた桜が夕暮の庭を白く見せる程吹雪のやうに散つて居る。直り方の病人が出て来てそれを見て、ああ素足でその上を踏んで見たいなと云つた。家の中を歩くのが漸くでまだ外へは出ない病人のことだから、降りてあの柔かさうな落花を素足で踏んだらさぞ気持のよい事だらうと思うのは成るほどもつともだと作者の同情してゐる歌であらう。

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足柄の五月
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