の夢がお前の身体のなかを通って遙かなところへ消えてゆくのを、じっと見送るような顔つきをしていた。お前には夢の羽搏が聴えたり、その行手が見えるのだろうか、無形なものを追おうとするお前の顔つきには何か不思議なものがあった。僕はお前と同じように不思議な存在になれないのを不思議におもったが、お前にとっては、やはり僕がお前の夢の傍にいてその話をきいていることが、ふと急に堪え難く不思議になったのかもしれない。そして、そういう気分はすぐ僕の方にも反映するようだった。僕たちが生きている世界の脆さ、僕たちの紙一重向に垣間見えてくる「死」……何気なく生きている瞬間のなかにめり込んでくる深淵……そうした念想の側で僕はまた何気なく別のことを考えていたものだ。お前が生れて以来みた夢を一つ一つ記述したらどういうことになるのだろうか、それはとても白い紙の上にインクで書きとめることは不可能だろう、けれども蒼空の彼方には幻の宝庫があって、そのなかに一切は秘められているのではなかろうかと。……美しい夢が星空を横切って、夜地上に舞降りて僕を訪れて来ても、僕の魂は澄みきっていないので、それをしっかりと把えることは出来ない。僕の魂は哭いた。ただ、あざやかに僕を横切ってかすめて行ったものの姿におどろかされて。(僕は子供のときから頭のなかを掠めて行った美しい破片のために、じりじりと憧れつづけていたのだ。じりじりと絶えず憧れつづけて絃は張裂けそうだったが)……そして、お前があのように、たった今みたばかりの夢を僕に語るとき、その夢はほんの他愛ないものにすぎなくても、お前のなかには「美しい破片」のために苛まれている微かな身悶えがありはしなかったか。他愛ない夢の無邪気に象徴しているものをお前は僕に告げたが、お前が語ったどんな微かな夢にもお前の顔附があって、お前の過去と未来がしっかり抱きあったまま消えて行ったのではなかったか。
 僕はあの家でみた一番綺麗な夢を思い出す。すべての嘆きと憧れが青い粒子となって溶けあっている無限の青みのなかを僕は青い礫のような速さで押流されていた。世界がそのように、いきなり僕にとって変っているということは、睡っている僕に一すじの感動を呼びおこしていたが、醒めぎわが静かに近づいて来るに随って、僕はそこが嘗てお前と一緒に旅行をしたときの山のなかの景色になって来るのに気づいていた。……お前は重苦しいものから抜け出そうとして、あの旅行を思いついたのだ。金時計を売って旅費にしたときの、お前の身軽そうな姿は大空へ飛立とうとする小鳥に似ていた。今でも僕はお前の魂の羽搏を想像する。泡立つ透明のなかから花びらを纏って生誕する一つの顔。

 僕はその頃、夢みがちの少年であった。朝毎に窓をあけると新しい朝が訪れて来るようだった。遠くにきこえる物音や窓の向に見える緑色の揺らぎが、僕を見えない世界へ誘っていた。僕は飛立とうとしていた。書物では知っていたが、まだ経験したことのない放浪や冒険の夢が日毎に僕のまわりにあった。僕は硝子張の木箱の前に坐っていた。僕にとって、ぼんやり僕の顔を映している硝子が、そのあたりにすべての予感が蹲っているようでもあった。だが、こうして部屋に坐っているということが、僕には何か堪らない束縛ではないかとおもえた。僕にはどうしようもない枠が、この世の枠が既にそっと準備されているのではないか。それは中学生の僕が足に穿いている兵隊靴のようなものかもしれなかった。大人たちは平凡な顔つきをして、みな悲しげに枠のなかにいた。書物の頁のなかから流れて来る素晴らしい観念だけが僕を惹きつけた。それは僕の見上げる晴れ渡った青空のなかに流れているようだった。僕は学校の植物園をひとりで散歩していた。柔らかい糸杉の蔭に野うばらの花が咲いていた。五月の日の光は滴り、風は静かだった。蒼穹の弧線の弾力や彼の立っている地面の弾力が直接僕の胸や踵に迫って来るようだった。荘厳な殿堂の幻が見えて、人類の流れは美しくつづいて行く。だが、そういう想像のすぐ向側で、何か凄惨な翳が忽ち僕のなかに拡がって行く。それも書物の頁から流れてくる観念かもしれなかった。傷つけあい、痛めあい、はてしなく不幸な群の連続、暗澹とした予感がどこからともなく僕に紛れ込んで来るのだ。全世界は一瞬毎にその破滅の底へずり降ってゆく。静かに音もなくずり降ってゆく。この不安定なもの狂おしい気分は植物園の空気のなかにも閃めいた。急に湿気を含んだ風が草の葉を靡かすと、樹木の上を雲が走って、陽は翳って行った。すると光を喪った叢の翳にキリストの磔刑の図を見るような気がした。ふと、植物園の低い柵の向に麦畑のうねりや白い路が見えた。と、その黒い垣が忽ち僕を束縛している枠のようにおもえるのだった。
 僕は小娘のように何かを待ち望んでいたのかもしれない。そのように待ち望んでいるものを夢みていたのかもしれない。可憐の花の蕾や小鳥たちの模様に取囲まれて、朝毎に美しく揺らぐ透明な空気が何処かから僕を招いていたのだろうか。ふと僕は花の蕾の上に揺らぐ透明なのが刻々に何かもの狂おしく堪えがたくなってゆくような気分に襲われた。すると僕の眼のすぐ裏側には、美しい物語のなかの女の涙が凝と宿ってゆく。「世界はこんなに美しいのに……」とその嘆き声がききとれるようだった。……僕は嘆くような気持で家を出ると、街を通り抜けて、川に添う堤の白い路を歩いて行った。うっとりとしたものは僕の内側にも、僕の歩いて行く川岸にもあった。白い河原砂の向に青い水がひっそりと流れていた。その水の流れに浮かんで、石を運ぶ船がゆるやかに下ってゆく。石の重みのため胸まで水に浸っていながら進んでゆく船が何か人間の悲痛の姿のようにおもえた。僕の頭上を燕はしきりに飛び交わしていた。月見草の咲いている堤の叢に僕は腰を下ろすと、身体を後へ反らして寝転んで行った。すると眩しい太陽の光が顔一ぱいに流れて来た。僕は眼を閉じた。閉じた瞼の暗い底に赤い朧の塊りがもの狂おしく見えた。「世界はこんなに美しいのに、どうして人生は暗いのか」と僕はそっとひとり口吟んでいた。(この静かなふるさとの川岸にも惨劇の日はやって来たのだった。そして最後の審判の絵のように川岸は悶死者の群で埋められたのだが……)
 僕はあのとき、あの静かな川岸で睡って行ったなら、どんな夢をみたのだろうか。その頃、僕のなかには幻の青い河が流れていたようだ。それも何かの書物で読んでからふと僕に訪れて来たイメージだったが、青い幻の河の流れは僕が夜部屋に凝と坐っていると、すぐ窓の外の楓の繁みに横わっているのではないかとおもわれた。が、そんなに間近かに感じられるとともに、殆ど無限の距離の彼方にそのイメージは流れていた。まだ、この世に生誕しない子供たちが殆ど天使にまがう姿で青い川岸の花園のなかに蹲っている。だが、子供たちは既にみなそれぞれ愛の宿命を背負っているのか、二人ずつ花蔭に寄り添って優しく羞しげに抱き合っているのだ。無数の花蔭のなかの無数の抱きあったやさしい姿、子供たちは青い光のなかに白く霞んで見えた。ちらりと僕はそのなかに僕もいるのではないかという気がした。
 僕の喪失した記憶の疼きといったようなものが、いつも僕の夢見心地のなかにはあった。どうかすると僕は無性に死んでしまいたくなることがあった。早く、早く、という囁きのなかに、芝居の書割に似た河岸を走っているオフェリアの姿が見えた。僕のすぐ足許にも死の淵があった。「死」は僕にとって透明な球体のようだった。何の恐怖もなく美しい澄んだ世界がじっと遠方からこちらを視詰めているようだった。僕は何ごとかを念じることによって、忽ちそのなかに溶け入ることが出来るのではないかとおもった。すると僕の足許には透明の破片がいくつも転がって来た。僕の歩くところに天から滑り墜ちて来る「死」の破片が見えた。その「死」は僕の柔かい胸のなかに飛込んで不安げに揺らぎ羽搏くのだった。
 不安げに揺らぐものを持ったまま僕は、ある日、街の公会堂で行われている複製名画の展覧会場へ這入って行った。木造建の粗末な二階の壁はひっそりとした光線を湛えていた。その壁に貼られている小さな絵は、僕にとって殆どはじめて見る絵ばかりであった。ボティチェルリの「春」が、雀に説教をしている聖フランシスの絵が、音もなく滑り墜ちて僕のなかに飛込んで来るようだった。僕は人類の体験の幅と深みと祈りがすべてそれらの絵のなかに集約されて形象されているようにおもえた。僕にとって揺らぐ不安げなものは既にセピア色の澱みのなかに支えられ、狂おしく燃えるものは朱のなかに受けとめてあった。
(今も僕はボティチェルリの描いた人間の顔ははっきり想い出せるのに、僕がこれまでの生涯で出会った無数の人間の顔はどうなったのだろうか。現実の生きている人間の印象は忽ち時間とともに消え去るのに、記憶の底に生き残っている絵の顔は何故消えないのか。その輪郭があまりにきびしく限定され、その表情が既に唯一の無限と連結しているためなのだろうか。……恐らく、僕が死ぬる時、それは精神が無限の速力で墜落して行くのか、昂揚してゆくのか、僕にはわからないが、恐らく僕が死ぬる時、僕はこの世からあまり沢山のものを抱いて飛び去るのではないだろう。僕のなかで最も持続されていた輪郭、僕のなかで最も結晶されていた理念、最も切にして烈しかったもの、それだけを、僕はほんの少しばかしのものを持って行くのではないのだろうか)
 その展覧会を見てから後は、世界が深みと幅を増して静まっていた。僕の眼には周囲にあるものの像がふと鮮やかに生れ変って、何か懐しげに会釈してくれた。それから、はじめてすべてのものが始まろうとする息ぐるしいような悦びが僕の歩いている街の空間にも漲っていた。ある昼、僕は書店の奥に這入って行くと、書棚のなかから一冊の詩集を手にとった。その書物を開いて覗き込もうとした瞬間、僕のなかには突然、何か熱っぽい思考がどっと流れ込んだ。僕は何か美しいものに後から抱き締められているような羞恥におののいているのだった。



底本:「日本の名随筆14 夢」作品社
   1984(昭和59)年1月25日第1刷発行
   1985(昭和60)年3月30日第2刷発行
底本の親本:「原民喜全集 第二巻」青土社
   1978(昭和53)年9月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2008年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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