にはあった。どうかすると僕は無性に死んでしまいたくなることがあった。早く、早く、という囁きのなかに、芝居の書割に似た河岸を走っているオフェリアの姿が見えた。僕のすぐ足許にも死の淵があった。「死」は僕にとって透明な球体のようだった。何の恐怖もなく美しい澄んだ世界がじっと遠方からこちらを視詰めているようだった。僕は何ごとかを念じることによって、忽ちそのなかに溶け入ることが出来るのではないかとおもった。すると僕の足許には透明の破片がいくつも転がって来た。僕の歩くところに天から滑り墜ちて来る「死」の破片が見えた。その「死」は僕の柔かい胸のなかに飛込んで不安げに揺らぎ羽搏くのだった。
 不安げに揺らぐものを持ったまま僕は、ある日、街の公会堂で行われている複製名画の展覧会場へ這入って行った。木造建の粗末な二階の壁はひっそりとした光線を湛えていた。その壁に貼られている小さな絵は、僕にとって殆どはじめて見る絵ばかりであった。ボティチェルリの「春」が、雀に説教をしている聖フランシスの絵が、音もなく滑り墜ちて僕のなかに飛込んで来るようだった。僕は人類の体験の幅と深みと祈りがすべてそれらの絵のなかに集約されて形象されているようにおもえた。僕にとって揺らぐ不安げなものは既にセピア色の澱みのなかに支えられ、狂おしく燃えるものは朱のなかに受けとめてあった。
(今も僕はボティチェルリの描いた人間の顔ははっきり想い出せるのに、僕がこれまでの生涯で出会った無数の人間の顔はどうなったのだろうか。現実の生きている人間の印象は忽ち時間とともに消え去るのに、記憶の底に生き残っている絵の顔は何故消えないのか。その輪郭があまりにきびしく限定され、その表情が既に唯一の無限と連結しているためなのだろうか。……恐らく、僕が死ぬる時、それは精神が無限の速力で墜落して行くのか、昂揚してゆくのか、僕にはわからないが、恐らく僕が死ぬる時、僕はこの世からあまり沢山のものを抱いて飛び去るのではないだろう。僕のなかで最も持続されていた輪郭、僕のなかで最も結晶されていた理念、最も切にして烈しかったもの、それだけを、僕はほんの少しばかしのものを持って行くのではないのだろうか)
 その展覧会を見てから後は、世界が深みと幅を増して静まっていた。僕の眼には周囲にあるものの像がふと鮮やかに生れ変って、何か懐しげに会釈してくれた。それから、はじめてすべてのものが始まろうとする息ぐるしいような悦びが僕の歩いている街の空間にも漲っていた。ある昼、僕は書店の奥に這入って行くと、書棚のなかから一冊の詩集を手にとった。その書物を開いて覗き込もうとした瞬間、僕のなかには突然、何か熱っぽい思考がどっと流れ込んだ。僕は何か美しいものに後から抱き締められているような羞恥におののいているのだった。



底本:「日本の名随筆14 夢」作品社
   1984(昭和59)年1月25日第1刷発行
   1985(昭和60)年3月30日第2刷発行
底本の親本:「原民喜全集 第二巻」青土社
   1978(昭和53)年9月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2008年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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