か何かに見入つてゐる姿勢で、白骨が残されてゐたといふ。纔かの目じるしで、それらの姓名も判明してゐた。が、T先生の消息は不明であつた。先生はその朝まだ工場には姿を現してゐなかつた。しかし、先生の家は細工町のお寺で、自宅にゐたにしろ、途上だつたにしろ、恐らく助かつてはゐさうになかつた。
その先生の清楚な姿はまだ私の目さきにはつきりと描かれた。用件があつて、先生の処へ行くと、彼女はかすかに混乱してゐるやうな貌で、乱暴な字を書いて私に渡した。工場の二階で、私は学徒に昼休みの時間英語を教へてゐたが、次第に警報は頻繁になつてゐた。爆音がして広島上空に機影を認めるとラジオは報告してゐながら、空襲警報も発せられないことがあつた。「どうしますか」と私は先生に訊ねた。「危険さうでしたらお知らせしますから、それまでは授業してゐて下さい」と先生は云つた。だが、白昼広島上空を旋回中といふ事態はもう容易ならぬことであつた。ある日、私が授業を了へて、二階から降りて来ると、T先生はがらんとした工場の隅にひとり腰掛けてゐた。その側で何か頻りに啼声がした。ボール箱を覗くと、雛が一杯蠢いてゐた。「どうしたのです」と訊ねる
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