鮮から帰つて来て、まだ東京まで行くのだぜ、道々十里も二十里も歩かねばならないのだ」と云ひながら、毛布を取出して、「これでも売るかな」と呟くのであつた。
 広島駅に来てみると、呉線開通は虚報であることが判つた。私は茫然としたが、ふと舟入川口町の姉の家を見舞はうと思ひついた。八丁堀から土橋まで単線の電車があつた。土橋から江波の方へ私は焼跡をたどつた。焼け残りの電車が一台放置してあるほかは、なかなか家らしいものは見当らなかつた。漸く畑が見え、向に焼けのこりの一郭が見えて来た。火はすぐ畑の側まで襲つて来てゐたものらしく、際どい処で、姉の家は助かつてゐる。が、塀は歪み、屋根は裂け、表玄関は散乱してゐた。私は裏口から廻つて、縁側のところへ出た。すると、蚊帳の中に、姉と甥と妹とその三人が枕を並べて病臥してゐるのであつた。手助に行つてた妹もここで変調をきたし、二三日前から寝込んでゐるのだつた。姉は私の来たことを知ると、
「どんな顔をしてるのか、こちらへ来て見せて頂だい、あんたも病気だつたさうなが」と蚊帳の中から声をかけた。
 話はあの時のことになつた。あの時、姉たちは運よく怪我もなかつたが、甥は一寸負
前へ 次へ
全32ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 民喜 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング