のない広場にはあかあかと西日が溢れてゐた。外郭だけ残つてゐる駅の建物は黒く空洞で、今にも崩れそうな印象を与へるのだが、針金を張巡らし、「危険につき入るべからず」と貼紙が掲げてある。切符売場の、テント張りの屋根は石塊で留めてある。あちこちにボロボロの服装をした男女が蹲つてゐたが、どの人間のまはりにも蠅がうるさく附纏つてゐた。蠅は先日の豪雨でかなり減少した筈だが、まだまだ猛威を振つてゐるのであつた。が、地べたに両足を投出して、黒いものをパクついてゐる男達はもうすべてのことがらに無頓着になつてゐるらしく、「昨日は五里歩いた」「今夜はどこで野宿するやら」と他人事のやうに話合つてゐた。私の眼の前にきよとんとした顔つきの老婆が近づいて来て、
「汽車はまだ出ませんか、切符はどこで切るのですか」と剽軽な調子で訊ねる。私が教へてやる前に、老婆は「あ、さうですか」と礼を云つて立去つてしまつた。これも調子が狂つてゐるのにちがひない。下駄ばきの足をひどく腫らした老人が、連れの老人に対つて何か力なく話しかけてゐた。
私はその日、帰りの汽車の中でふと、呉線は明日から試運転をするといふことを耳にしたので、その翌
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